2007年8月28日
最近の出来事を記録
2007年8月26日日曜日
きのう床屋に置いてあった『週刊新潮』を覗いていたら、都倉俊一の「マイ・フレーズ」という連載が載っていた。私が読んだ第2回は山本リンダ どうにも止まらない。
この中で都倉は、日本語を英語訛りで歌い始めたのは山本リンダではないかと書いている。てっきりサザンだと思っていたけれど、そういえば、そうかもしれないなあ。もともと「舌ったらず」の話し方であったということもあって、あの歌い方につながったともいうけれど、それと同時に、英語っぽくすることで、1音符1シラブルでない書き方も可能になったんだとか。
なお、《どうにも止まらない》は、もともと《恋のカーニバル》というタイトルだったそうだ。いやあ《恋のカーニバル》じゃ、売れなかったろうなあ。
映画『抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より-』(1956)
音と音楽の使い方に、とても良いセンスを感ずる作品だった。ナレーションが映像表現に与える意味、モーツァルトのミサ曲と信仰の問題、音を立てにくい境遇だからこそ、余計に耳をそばだて音に対して敏感になる仕掛けなど。
シリアスな内容だけに、余計に音楽が少なくなるのだろうけど、音や音楽の機能は、逆に最大限生かされている。
オリジナル・スコアを使っていないということでは、「映画音楽」の歴史からはみ出てしまうのかもしれないけれど、モーツァルトの原曲 (これ戴冠ミサだったっけ?) を知らない人にとっては、声楽付きの厳かで効果的なスコアに聴こえるのかもしれないな。
2007年8月27日月曜日
聴いたり、メモ取ったり。
アイヴズの歌曲というのは、作風にせよ、扱う詩にせよ、本当に幅広い。これは20世紀ならではなのだろうか。今のところ、114 Songs収録外の作品を歌ってる盤はなさそうである。H. Wiley Hitchcock編のは高いからなあ。
あだち充『H2』
ニコニコ動画でアニメを見て面白かったので、原作をヤフオクにて入手。あだち漫画、初めてです。テレビで毎年放送している高校野球の試合の醍醐味を知るには、おそらく、ちばあきおの『プレイボール』の方が数段上だけれど (少なくとも私は高校野球を観る喜びが倍増した経験あり) 、スポーツを介した青春ドラマとしては秀逸。人間の心の隙間、弱さに感動するっていうことかなあ、やっぱり。
2時間枠のスポーツ映画なんかでも、試合の詳細というのは描きにくいから、試合のダイナミズムをいかに集約・凝縮するかを考えるのにも、こういうタイプの漫画はいいのかもしれない。
まあ、あるサイトで指摘されてたように、部活を目一杯やると、映画や喫茶店なんかに行く時間はないっていうのは、私も吹奏楽部で経験しましたけれどね…。朝練行くのに毎朝5時45分起きだったなあ (遠い目) 。
投稿者 cs3daime : 15:18 | コメント (0)
2007年8月23日
今年も、世界から、そして世界へ
「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド2007」が明日から始まります。ちょっと南砺市は遠いのですが、お近くの方は、ぜひどうぞ。
↓
公式サイト
投稿者 cs3daime : 19:09
2007年8月22日
最近DVDで観た映画の感想
・『U-571』
エンディング・テーマを聴いて興味を持った。戦闘状態の潜水艦で極限状態に陥り、その中でいかに敵に立ち向かっていくかを扱ったこの映画は、実はパニック=アクション映画に戦争/愛国の装いをまぶせたエンターテイメント作品である。だから「ご都合主義」という批判はしかるべくして挙がるのである。おそらく $1.50 の映画館なんかで観ればそれなりに満足して帰りそうな映画ではある。
いい音楽だと思うけれど、観た人の感想の中には「音楽がうるさい」というのがあったので、映像が負けているのかもしれないな。
・『西部開拓史』
アルフレッド・ニューマンの音楽から入った作品。シネラマ方式で上映するオハイオの映画館がメイキングで紹介されていて、もしかすると、本当にシネラマで観るとスケールが大きく見えそうだな、という予感はさせるものだった。
映画本体は、アメリカ版大河ドラマという印象。ナレーションで進めていくところ、物語が歴史にもとづいているところ、一つの家族を核に、やや雑多な物語を詰め込んでいるところが共通か。意外にも歌が多く、ミュージカル的な側面も持っているのが興味深かった。アクション・シーンの見せ場も、明らかに大スクリーンを意識させ、大きな予算が背後にあったことを感じさせる。
やはり物語の焦点がぼけていることは否定し難いが、大味な作りといい、映画がまだ大衆のエンターテイメントとしての地位をテレビに完全には奪われていない時代なのだろうな、と思わせた。
投稿者 cs3daime : 13:47 | コメント (0)
2007年8月21日
シフのバッハ
バッハ イタリア協奏曲、フランス組曲第5番、フランス風序曲 アンドラーシュ・シフ (ピアノ) Vanguard Classics ATM-CD-1893 (http://ml.naxos.jp/?a=ATM-CD-1893)
対位法によって書かれている楽曲においてピアノに有利なのは、特定の声部を、アーティキュレーション (レガートなど) だけでなく、まさにダイナミクスの面からあぶり出せることではないだろうか。細部まで耳が行き渡る奏者であれば、この特性が生きて来る。
遊び心いっぱいのイタリア協奏曲など、その好例だろう。協奏曲というのは、何しろヴェネツィア楽派のコーリ・スペッツァーティに端を発しているのだから、コントラストを付けること自体が音楽の醍醐味でもある。しかし、テラス式ダイナミクスを、時には数音の単位にまで適用させ、思わぬフレーズの発見をさせているところに、シフの演奏の魅力があるように思う。
舞曲を中心とした2つの組曲にしても、その特質は変わらない。中には、よりホモフォニックな作品があり、そこではピアノの生み出す音色の統一感が、和音としての塊を、旋律声部から際立たせているように思う。
また、大きな音でやると途端に作品の品位が失われてしまいそうなところは、ピアニストに、よりシビアなコントロールを要求するように思う。何しろ最弱から最強までの間に無限のダイナミクスのスペクトラムがあるのだから、その中から、音色に耳をそばだてながら進めていかねばならないのだろう。もっとも伴奏 vs. 旋律というのは、ピアノの方が得意にするテクスチュアなのかもしれない。
投稿者 cs3daime : 20:49 | コメント (0)
2007年8月19日
第38回 富山室内合奏団定期演奏会
2007年8月18日 (土) 18:30ST、富山県教育文化会館
・コレッリ:合奏協奏曲ト短調 作品6の8《クリスマス協奏曲》
・ヴィヴァルディ:協奏曲集作品3《調和の霊感》から2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 RV. 565、作品3の11
・ヴィヴァルディ;3つのヴァイオリンのための協奏曲ハ長調 RV. 551
・ヴィヴァルディ:2つのチェロのための協奏曲ト短調 RV. 531
・モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K. 364
・グリーグ:組曲《ホルベアの時代より》作品40
富山室内合奏団の演奏会は、いつもアットホームな雰囲気で、「コンサート」と呼ぶにはインフォーマルなところがあるけれど、どうしてなかなか、富山の演奏会の中では、確かな技術に裏打ちされた聴きごたえのある、ボリューム感たっぷりの内容である。コレッリの《クリスマス協奏曲》の独奏を担当した中1・小6の石見香保梨、瀧京奈のコンビからして、音楽を聴かせる意識を感ずるのである。
この合奏団が、特定の音楽教室に関係しているかどうかは知らないのだが (大澤明氏の人脈であることは確か) 、基本的に弦楽器アンサンブルであり、取り上げる作品によって、適宜賛助の演奏者を入れるという体制で出来上がっているようだ。
今回の一番の聴きどころだったモーツァルトの協奏交響曲変ホ長調K. 364においても、オーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーや、ギドン・クレーメルのアンサンブルのメンバー (なぜ当地にいるのか等の詳細は不明) が加わり、楽団員にも良い刺激になっただろうし、演奏にも締まりがあった。ヴァイオリンの竹中のりこは、私も企画に参加しているショスタコーヴィチの弦楽四重奏連続演奏会で、すでに実力を目の当たりにしているが、安定した弾きぶりの上に熱があり、第3楽章でのリードには目を見張るものがあった。ヴィオラの内山隆達 (楽団OB) は第1楽章こそやや「走る」傾向があったが、次第に流れの中にうまく収斂していくようになり、さらに竹中との絶妙なコンビで聴衆を圧倒した。
ヴィヴァルディの3つのヴァイオリンのための協奏曲は、はちきれたような3人の「競演」も楽しく、作品としても大いに楽しませてもらった。各独奏者がそれぞれの腕を生かし、「三大テノール」のように旋律を分け合って歌ったり、デュオ+サポートという組み合わせになったりする。第2楽章では、3人がアルペジオ、ピチカート、旋律という役割分担を行ない、これにコンティヌオが加わるという、ヴィヴァルディの実験的な試みも体感できた。
同じくヴィヴァルディの協奏曲集《調和の霊感》からの2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲では、中佑 (高1) と八坂友実子 (中3) 、それに大澤明という組み合わせ。中はキューの出し方に多少ためらいがあったようだけれど、楽団全体に、この若き独奏者をサポートする暖かさが感じられ、好演につながった。
いっぽう、技術的にも音楽的にも関心を持ったのは、高田剛志と大澤明による、ヴィヴァルディの2つのチェロのための協奏曲であった。とくに緩徐楽章においては、瞑想的な静寂の中に聴き手がぐっと誘い込まれ、音楽によって構築された時間が、会場を満たしていたのが印象的だった。大澤氏の恩師高田哲夫氏を偲んで演奏されたようだが、言葉にできないメッセージが、きっと届いたことだろう。平井み帆 (チェンバロ) のセンスも光っていた。
このように、富山の地元に根付いた優れた楽団は、もっと知られて良い。毎年定期演奏会が行なわれているので、来年はぜひ、多くの聴衆が訪れることを期待したい。
投稿者 cs3daime : 12:14 | コメント (2)
2007年8月17日
スクロヴァチェフスキのベートーヴェン
ベートーヴェン 交響曲第3番《英雄》 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団 BMGジャパン (Oehms) OC 522
弦楽器を中心にヴィブラートを適宜抑制しながら、気持ちよく、快適なテンポで進むベートーヴェンである。このテンポを取ることによって強調されてくるのは、どっしりとした音の塊よりも、幾重にも折り重なる流麗な旋律線であったり、和声進行に重要な役割を果たす、細かな動機である。
イン・テンポで演奏することに対し、日本のリスナーは抵抗を感ずることが強いのだろうか、と思うことがある。それは例えば、トスカニーニに対する相対的評価が低い傾向にあることにも現れているように思う。
新たに接する演奏におけるテンポというものが、我々が過去の実演や録音において接して来たものと大きく隔たっているということはある。またテンポ通りで演奏するよりも、細かくそれが変動する、揺れる部分に、何かしら尋常ならぬ表現の深みと濃厚さを感じ取ることがある。
スクロヴァチェフスキの場合、テンポだけを考えれば、「揺れ」の要素を緩徐楽章には積極的に取り入れながらも、イン・テンポに近い律動を選んでいるように思う。
ドラマの構築のために音の協和・不協和が用いられることも見逃せない要素ではあるが、それは、ゆっくりとしたテンポの中で、垂直的・同時的に聴取されることが大きいように思う。しかし、より大きな文脈の中に置いてみることで、特定の声部の動きがいかに重要であるかを聴き取ることもある。
もちろんスクロヴァチェフスキの演奏だって、立ち止まりながら、朗々と鳴らす中で聴かせることを忘れているわけではない。しかし、重点は、アクセントを生かしながら、より線的な流れの中に置かれているように思われる。近年のピリオド楽器による演奏に触れるにつれ、この「折り重なる流麗な線」の存在をベートーヴェンの音楽の中に見出すことが多くなった。
作曲家の意図というものは、永遠に分からないものだろうし、唯一絶対的な解釈があるなどとは、おそらく誰も思わないだろう。ただ、ベートーヴェンの時代の「楽器」が語るものには「解釈」の枠組みにスマートに収めきれない、何かしら共通の音作りの基盤を、現代の奏者にもとめてくるように思う。それが「historically-informed performance」の根底にあるものではないだろうか。
そんなことを考えながら、スクロヴァチェフスキの《英雄》を堪能した。なお、私の聴いた国内盤は交響曲第2番とセットで、2枚組になっている。最近全集のボックスも発売されたようであるが、輸入盤の方が安いようだ。国内盤のライナーの問題については、以下も参照されたい。
瑞典Megastoreから (「ユビュ王の食卓」)
投稿者 cs3daime : 20:27 | コメント (0)
音楽ブログとして
sasaki様より、以下のコメントをいただきました。引用します。
(引用開始)
さしでがましいかもしれませんが、音楽に関することと政治的主張は別々のブログに書かれてはどうでしょうか?
政治と音楽のつながりを考察されているのならともかく、現状はあまりにキャラが違いすぎて、一定のスタンスで読むことができず、混乱してしまいます。
(私個人は、政治に関するエントリーは斜め読みにしています。)
(引用終了)
以下、回答いたします。
sasaki様
当ブログをお読みくださり、まことにありがとうございます。
私の政治に関するエントリーは、私が大学で音楽教育を学んだことに出発点があります。そして教育基本法が昨年末改悪されたことに、強い怒りと恐れを感じ、ブログの趣旨と離れることを知りながら始めました。私が日本の未来を心から心配したからです。
そして、sasakiさんのような指摘が来るまでは、政治・時事問題関係について、書き続けようと考えておりました。決して「思想」といった大それたものではなく、感情をぶつけるものでしたでしょう。しかしながら、黙ってはおられないという気持ちは強かったのです。慣れない分野ですので、書くのは大変でした。
先月の選挙の結果もあり、いまはそれほど政治や時事問題に関して書く必要性は感じておりませんが、おっしゃる通り、政治に関してはブログを分けることも考えており、あるいは、きっぱりやめることも考えておりました。
「そもそも個人の日記なのだから、何を書いてもいいのではないか」という考えも持つ方もおられるかもしれませんが、私個人としては、これを期に、ブログを音楽に集中するモードに戻そうかと考えております。将来的に必要を感ずれば、新しくブログを設けることも考えます。
ところで、斜めに読まれるのは大いに結構なことで、私は何事も斜め読みすることが必要かと考えております。それは、私の音楽に対する考え方に対してもです。
率直にご意見くださったこと、こころから感謝いたします。また、こんなブログでも読んでいただいていることを、とても嬉しく感じております。
投稿者 cs3daime : 18:05 | コメント (0)
2007年8月14日
あまり内容のない記録
2007年8月9日木曜日
それにしても、基本はやっぱりNew Groveだと、つくづく思う。
・映画『U-571』(DVD)
エンディング・テーマを聴いて興味を持った。戦闘状態の潜水艦で極限状態に陥り、その中でいかに敵に立ち向かっていくかを扱ったこの映画は、実はパニック=アクション映画に戦争/愛国の装いをまぶせたエンターテイメント作品である。だから「ご都合主義」という批判はしかるべくして挙がるのである。おそらく $1.50 の映画館なんかで観ればそれなりに満足して帰りそうな映画ではある。
いい音楽だと思うけれど、観た人の感想の中には「音楽がうるさい」というのがあったので、映像が負けているのかもしれないな。
・服部公一作曲、井崎外枝子・砂川公子作詞、あけび会女声合唱組曲《千代女》 KRP Record no number (LP).
金沢では有名な女声合唱団のようなのだが、ググっても情報が出てこない…。Manufactured by Studio1014 & Otono-Otomura Co. LTD, Kanazawa, Japanとラベルにはある。
2007年8月10日金曜日
暑い日は今日も続く。
アナログを語る会に出席。今日は村山一雄さんがDJを担当され、ビヴァリー・シルズの録音を中心に紹介された。会場は「クラシック」という認識だったけれど、ヴィクター・ハーバートやジェローム・カーンも、一般の人にはクラシックになるんだろうな。オペラティックな歌唱法とオケ伴奏が、クラシック的な要素になるのだろう。
今回も会長さんにLPレコードをいくつか借りて来た。
・佐伯孝夫全集 日本ビクター JV-41~43 (LP).
ビクター専属の作詞家で、流行歌を多く手がけたようだ。昭和8年3月、藤山一郎の《僕の青春》から昭和35年8月、橋幸夫の《潮来笠》まで。
・Side by Side: Kazuo Yashiro Plays Bosendorfer [and] Steinway. Audio Lab Record ALJ-1012 (LP).
初めて聞くレーベルだ。
・ステレオ・レコードへのお誘い 日コロ TD-5001 (LP).
6 eyesだ。
投稿者 cs3daime : 19:35
2007年8月11日
アマゾンから、ライヒDVD発売の知らせ
「シティ・ライフ」のDVDがでるようです。
投稿者 cs3daime : 16:34 | コメント (0)
2007年8月 6日
平和を考える8月
たとえ8月だけでも、平和について考えるっていうのは良いと思う。アメリカにそんな季節なんてないからなあ。
・NHKスペシャル「硫黄島 玉砕戦 生還者61年目の証言」
アメリカで硫黄島については多少知ってはいたけれど、実際に玉砕戦を生き抜いた人たちの証言はすごい。最後はもう、ひめゆり学徒隊も想起させるほどの極限状態だったことが生々しく語られる。大本営にとっては、国民など、将棋の駒のような存在だったに違いない。現首相も、この「家系」なのだろう。
戦争は負けた側から語られると、ずっとその意味が見えて来るように思う。反対に、勝つことばかり教えられてきたアメリカは、今でもあれほど好戦的であり続けられるのだと思った。
・NHKアーカイブス 村を変えた246枚の召集令状 (NHKスペシャル「赤紙が来た村 ~誰がなぜ戦場へ送られたのか~」) http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2007/h070805.html
召集令状の送付先はどのように決められていたのか、役場の資料が消却処分される前に持ち出していた人がいて、その人が保存していた資料をもとに徴兵の実態を探る衝撃的ドキュメンタリー番組でした。当時は在郷軍人名簿っていって、国民プロファイリングが全国的に行なわれ、赤紙対象者を決めていたのですねえ。こわ~。個人の生活態度や思想、風評までを事細かにチェック。病歴も常にアップデートされる。個々人の技能 (自動車免許、馬蹄職人など) 、あるいは工場に勤めていた人について、S社、F社などを尋ね回って、具体的にどういう仕事をしていたのか記録していたんですね。その情報収集・記録能力はすさまじいものがあります。もっとも戦争も泥沼化するにつれて、兵士としての能力を推し量る暇もなくなると、どんどんその基準は甘くなっていったようですね。それにしても、太平洋戦争だけのために4回も召集令状を受け取ったことことがあるって人もいたんですね。
もしかして自衛隊の市民監視って、この「伝統」なんでしょうか。ゲストの保阪正康氏によると、海外では入隊してから様々な審査はあるものの、普段からここまでやってる国はないとのこと。
広島の平和宣言、素晴らしかったですね。特に注目したのは、以下の部分。
(引用開始)
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が七十四歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
(引用ここまで)
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/2007/peace_declaration/Hiroshima_2007.html
反戦への想いが伝わってきます。核兵器を持って戦争できる国にしたい安倍総理がいくら台本をしゃべっても共感は得られません。
投稿者 cs3daime : 21:25