2007年7月29日
覚え書き
2007年7月27日金曜日
ここ数日はラグタイムのCDを聴いている。70年代にブームを巻き起こしたジョシュア・リフキンの演奏は、やや録音が遠いものの、ゆったりとしたテンポで演奏されているものが多い。これが「ラグタイムは速く弾いてはいけない」と楽譜に注意書きを書いたジョプリンの思いを尊重していると考えられてきたようだ。もっともこのアドバイスは、Zez Confrey流のノヴェルティ・ピアノが流行の兆しを示していた時代ということもあって、あの曲芸的に速い、目の回るようなピアノ楽曲に比べたら、ということで書かれたのかもしれない。
William Albrightは、リフキンの実直な演奏に比較すると、かなり大胆に即興を入れている (リフキンのにも、おとなしめだが、多少の即興が加わっている) 。この趣味が受け入れられるかどうかで分かれる思うが、私自身は、楽しく面白く聴ける演奏であり、ここまでジャズっぽいスタイルの即興かどうかはさておき、ラグタイムにおける反復記号が無駄に曲を引き延ばしていると考える人にとっては面白い試みだろう。
ジェームズ・レヴァインの演奏は、ある本によると「余興」でやってるとまで書かれているけれど、決して悪い演奏ではない。ただ前二者に比較すると、芸が足りないと思われるのかもしれない。
2007年7月28日土曜日
ハワード・ハンソンのオペラ《メリー・マウント》のリブレットの元になったリチャード・ストークスの台本を読みながら、オペラ本体をかじり聴きする。いやはや、なんとも残酷な話ですねえ。
Ephraim KatzのThe Film Encyclopediaが届く。これのおかげで、Cage&FeldmanのCDも船便で送られ、到着が遅くなったようだ。分厚い。同様なガイドブックにはVideohound'sやLeonard Maltinのもあって迷ったんだけれども、とりあえず最もスタンダードっぽいものということで、これにした。映画音楽を勉強する前に、まず映画の基礎文献を、ということだろうか。でも、Amazon USのレビューにあったように、これは人名によるエントリーなので、私には敷居が高いかもしれないなあ。作品名によるエントリーのVideohound'sの方が良かったかなあ。大学のBookstoreでは、ときどき座り読みしてたんだけれど。まあ、値段的にはVideohound'sも大したことないので、両方持っててもいいのかもしれない。
投稿者 cs3daime : 17:26
2007年7月25日
日曜日と月曜日の記録
2007年7月22日日曜日の記録
飯田橋にある東京ルーテルセンター教会にて、主日礼拝に参加。事前に斉藤牧師に連絡しておいたおかげか、礼拝後にお声をかけていただいた。まさか私が同じミズーリ・シノドの教会にいたとは思わなかっただろう。「こういう礼拝をやってます」とおっしゃっておられたのだが、実はどういう形式かについては、だいたいのイメージは持っていた。ただこの教会の方が、音楽様式的にはちょっと古いものを使っているというくらいのことだろう。一般の人にとっては、音楽的に高度な内容かもしれないなあ。僕は好きですけど。また、オルガンが本物っていうのは、やっぱりいいなあ。
この日は、妹と三食を共にした。朝食は宿泊先のホテル・サーブで。昼は新宿の麻布茶房。夜は東京駅近く、八重洲地下街のサイアムオーキッド。食べやすいタイ料理だった。写真はガイ・パッ・ガパオ・ラー・カオ (鶏挽肉のバジル炒めのせごはん) 。うまかった。このほか、トムヤムクム (大きな殻つきエビがすごい) 、パッ・タイ (タイ・レストランだと、今のところハズレなしだなあ) を食べた。
・『Sight 2007 Summer』(雑誌)
「総力特集!反対しないと、戦争は終らない」である。坂本龍一と藤原帰一の対談、菅直人、内田樹、高橋源一郎など。反戦や9条護持をリアルなものとして捉える企画だ。いわゆる護憲派のアピール法、アプローチ、旧態然とした「運動」に対する批判も含む。ここに書かれていること全てに同意するわけでもないけれど、おおむねこういう方向で支持を集めるべき、というのは見えてくるように思った。
2007年7月23日月曜日の記録
・ジョセフ・ランザ著、岩本正恵訳『エレベーター・ミュージック:BGMの歴史』 (白水社)
意外とムード音楽の歴史について書かれた本はない。あまりミューザックとか、その商用効果については関心はないのだけれど、ムード・ミュージックの代表的なミュージシャンや、彼らが作っていた音楽については関心を持っている。
・Wagner, Der Rind des Nibelungen. Varnay, Brouwenstijn, etc.; Bayreutner Festspiele 1956; Hans Knappertsbusch. Orfeo D'or C660 513 Y (13 CDs).
いつまでもディスクユニオンで売れ残っていたので、遂に購入してしまったが、売れ残りの原因を確認してしまったような気がする。はっきりって、Music & Artsの録音の方が、ずっと聴きやすい。結局買い直しか…。
・Seed Mouth 99 Piece [sic.] (private CD-R)
練り上げた音素材が短く提示され続けて行く99トラック。いずれも何かしらのループを用いたものか。「明らかにケチャだ」と元ネタが分かるものもある。短い分、飽きる前に次のトラックに移るし、音そのものに魅力があるので、面白いのではないかと思う。 ただ、その音も、いくつか類型できるんじゃないかと思い始めたら、つまらなくなるのかもしれない。長く聴かせるための構成力・技術が必要なのかも。
投稿者 cs3daime : 07:15
2007年7月19日
ほんの記録
・『ユリイカ』7月増刊号 「総特集 大友良英」
私は大友さんの熱心な聴き手ではないけれど、野々村さんのディスコグラフィーでは、B2, E3, F2, L1, M3, Q8を持っている (というか、野々村さんのお勧めで買ってたりします (^^;; ) 。『ユリイカ』ってこんなに高かったっけ?
・Toward an American Opera, New World NW 241 (LP).
ハーバート、テイラー、グリュンバーグ、ハンソン、コープランド、メノッティらのオペラからの抜粋。コープランドやメノッティは全曲盤からだけど、テイラー、グリュンバーグ、ハンソンはLawrence Tibbettの音源として録音されたものっぽい。
・James Horner, If We Hold On Together (Diana Ross) MCA Records MACD-6266 ("The Land before Time" OST).
ここまでやってきたんだから、放り出さないで。一緒に手をつなげば、夢は決して消えたえることはないんだから。いい歌詞ですよねえ。
ディズニー関連の映画として観たアニメ映画『リトルフット』の主題歌なんですが、この曲に出会えたのは、本当によかったと思います。コーラスの部分に I-III-IV というベース進行があって、愛国主義的な映画によく使われるのですが、ストリングスでやってないせいか、そういった感じは全然ありません。そして、ここに C-Em-F というコードが付いているのが一工夫なんですよね。ヴァースの部分にもI-III-IVはあるのですが、ここは素直に I-I (の第1転回型) -IV (C-C-F9) だったりします。コーラスの最後が VI-IV-I っていうのもニクいねえ。
投稿者 cs3daime : 19:44
2007年7月16日
最近聴いたもの
Bax, Arnold. Tintagel (1917-19). Ulster Orchestra; Vermon Handley, conductor. Chandos CHAN6538 ("Seascapes")
アメリカのラジオ放送で冒頭を偶然耳にして、直感的に面白いと思った作品。残念ながらストリーミングが途中で切れてしまったので、早速ナクソス・ミュージック・ライブラリーにアクセスしてみた。
一瞬映画音楽かと思ったんだけれども、年代からみて、明らかに違いそう。反対に映画にどのくらい影響したんだろうとは思うけれど、影響された人がいても不思議ではなさそう。ちょっとドビュッシーも入ってる?
思い出の花のステージ 第1集 日本コロムビア ACE-7059 (LP)
丸山明宏、神戸一郎、スリー・キャッツ、こまどり姉妹など、幅広いスタイルで書かれた流行歌を集めたオムニバス・レコード。この中で何となく知っているのはスリー・キャッツの《黄色いさくらんぼ》くらい。
芦川聡 スティル/ウェイ Sound Process WN 002 (LP)
繰り返しの多いシンプルな、か細く美しい作品群。《前奏曲》からして、音色旋律っぽいことをやっているのが面白いけれど、《スティル・パーク--ピアノ・ソロ--》などは、「いつまでやっとるんや」という突っ込みも入れたくなったりする。アンサンブルで演奏した同曲の別バージョンは、演奏時間こそずっと長いものの、それほど退屈はしなかった。ピアノで演奏された反復音型がハープで演奏され「伴奏」となって背後で支えながら、他の楽器がこれを彩るというプロセスに魅了されたからだろうか。
オリジナル盤による 明治・大正・昭和 日本流行歌の歩み その4 日本コロムビア ADM-1004 (LP).
二村定一・天野喜久代による《青空》はクルト・ワイル風で、東京ユナイテッド・ジャズ・バンドによる《テルミー》はODJB風のコミカルな路線。川崎豊と曾我直子による《沓掛小唄》は47抜き短調で、《五木の子守唄》風。ジャズの日本への入り方が分かると同時に、同時代の音楽スタイルの幅広さを改めて認識した。
音質も、これ以前の3枚よりも大分良くなって、聴けるようになってきた。最初の3枚は雑音の彼方に音を聴く記録集という感覚だったから。バートン・クレーンの《酒がのみたい》には英語の歌詞が長く入っている。[4分音符-8分音符] のリズムでBb-Bb Bb-Bb D-D Bb-Bb A-A A-G Fというメロディーは、他の歌にも使われているような気がする。
藤山一郎の《酒は涙か溜息か》は、このLPの中では極めて異質に聴こえるから不思議だ。そのくらい、「演歌」が自分にとっては古くさく感じられるのだろう。あるいはこの曲が戦後演歌につながったものなのか。
《私此頃憂鬱よ》を歌う淡谷のり子。この時代の声には張りがある。伴奏はマンドリンだろうか。
オリジナル盤による 明治・大正・昭和 日本流行歌の歩み その5 日本コロムビア ADM-1005 (LP).
最初の方だけ聴いた。この10枚組では初めてのタンゴによる関種子の《日本橋から》、ナショナリズムの色濃い中野忠晴の《走れ大地を》 (解説書によると、国際オリンピック派遣選手応援歌で、昭和18年8月に行なわれた第8回、ロサンゼルスが開催地だそうだ。) 、ハワイアン・ギターのような音の入ったミス・コロムビアによる《十九の春》が印象に残った。
Brian Eno, Descreet Music; Three Variations on the Canon in D Major by Pachelbel. Brian Eno, synthesizer; The Cockpit Ensemble; Gavin Bryars, conductor. Obscure OBS 3 (LP)
イーノ作品はきれいだったなあ。癒されるシンセの響きっていうのは、この人が元祖なんだろうか。裏面のパッヘルベルを変形させたのは、あまり面白いとは思わなかったけれど。
投稿者 cs3daime : 18:41
2007年7月10日
聴いたもの、読んだもの
Brahms, Johanness. Symphony No. 1. Concertgebouw Orchestra of Amsterdam; Willem Mengelberg, conductor. Live performance, 13 April 1943. Tahla TAH 391.
第2楽章終盤のヴァイオリン独奏に聴くポルタメントに、何ともセンチメンタルな時代の風情を感ずるが、決して感傷に溺れる演奏でもなく、決然としたアンサンブルの歯切れの良さを感ずる。第4楽章のソナタ主題を4小節ずつ区切るなど、独特の節回しも聴かれるが、この作品に盛り込まれた優雅さと強靭さの両方を引き出そうとしているものと解した。ブラームスは生演奏で聴くと、意外なほど荒削りに聴こえるのだけれど、その荒っぽさも魅力なんだと思う。
Prendergast, Roy H. Film Music: A Neglected Art. 2nd ed. New York: Norton, 1992.
デヴィッド・ラクシンの譜例がやたらと多い。また古く、観たことのない映画作品ばっかりで、どうもこれまで入り込めなかった。
でも改めて眺めてみると、それなりに面白い問題提起がある。Kerlin&WrightのOn the Trackのような、現場の声が聞こえてくるような本ではないけれど、作曲家たちと親交があったからこそ、こういうものが書けたんだろうな、という印象がある。
その中には、かのストラヴィンスキーも映画音楽の「形式」については理解していなかったとか、映画ができる前にスケッチの大半ができてしまっていたとか、例のヴィラ=ロボスが『緑の館』の映画制作中に音楽だけ全部書いてしまって、後で別の人がカットしなければいけなくなったとか (日本のドラマ音楽の場合は、これが普通?) 、ラロ・シフリンが自作をコンサートでやろうとしたが、楽譜使用許可について、最初はスタジオから渋られて大変だったとか、いろんなエピソードが紹介されている。
そういえば「音楽と言えば映画音楽」という前提で成り立っている読者層の間では、「純音楽」という言葉が使われることが多い。しかしオペラや劇音楽も、この純音楽に含まれているのではないだろうか。つまり映画のために書かれた音楽以外には「純」という言葉が頭につくらしい。不思議な言葉だ。
純邦楽というレコード分類も不思議なもので、要するに日本のポピュラーか海外のポピュラーかの分類で邦楽/洋楽の分類があるのだけれど、日本の伝統音楽も「邦楽」と呼ばれているので、ポピュラー邦楽と分けるために、便宜的に出来たに違いない。
篠田元一監修 『新 ザ・ベスト・ドラムス・プログラミングス』、リットー・ミュージック、1999年。
DTMでドラムを打ち込む時に参考となりそうな本。「読む」のはMIDIの基礎知識を記した部分で、残りの大半は実際に打ち込むときのパターンをジャンル別に紹介したものだ。
ポピュラー系の音楽語法の中でも、やっぱりドラムに不慣れだと私は自覚している。高校の時、吹奏楽の編曲をやったんだけれども (今から思うと、耳コピーの初仕事だったかも?) 、ドラムの部分だけはパーカッションの人にやってもらったからなあ。まあ、自分はドラムを叩く訳じゃないので、このDTMの本で勉強しようと思う。
投稿者 cs3daime : 16:07
2007年7月 5日
引き続き、吉田氏の番組について
ハードディスクに収まった吉田秀和の番組を一通り観た (→このエントリーの続きです) 。またつらつらと書いてみよう。ちなみに私は彼の熱心な読者ではなく、全集にしても3つしか持っていない。
実は私が最初に買った吉田氏の本は『名曲300選』という新潮文庫の本だった。これがおそらく大きな失敗だったんだと思う。断定的な書き方で「名曲」が選ばれていて、サン=サーンスなどの評価に納得できなかったり、ロマン派の部分がフリードリヒ・ブルーメの考え方そのままだったり。彼のコアな評論に出会っていれば、そういう先入観を持たなかったのに、と思うことしきりである。修士時代に買った全集の「20世紀の音楽」についても、そのためか、あまり懸命に読んだ記憶がない。
大きく評価するようになったのは、アメリカに行ってから。それもネットの掲示板で50年代の批評は素晴らしいという書き込みを見てからだった。一次帰国の際、全集から何冊か買って読んで、大変な評論家を知らなかった自分を恥じた。
番組でも批評文から多くが引用されているが、彼の筆が走っている頃のものは、自らの能力のなさを実感するには充分であり、やはり音楽で文章を書くというのはこうでなければならぬ、と改めて思い知らされた。
小林秀雄の『モオツァルト』は、愛好家と学者の間で随分評価が違うという感覚があって、それで本屋で文庫本を買った。で、読んでみて、実は私は嫌いではないのである。もちろん私はこんな風に書きたいとは思わないし、そういう能力もない。ただ、これが何かしらモーツァルトの音楽を聴いた人を覚醒させることは間違いなく、その文体や訴える力の強さというものは無視できないとは感じたのである。
いっぽうで、吉田氏の「分析」、あれはおそらく、音楽学では「分析」とは言わないような気がする。拙著のタイトルに書き込まれている「徹底分析」も音楽学的にはそうではない。おそらく彼の記述は「考察」になり、分析というと、動機や調性によるヤン・ラルー風の分析、和声分析、ピッチクラス・セットによる分析、シェンカー分析といった、もっと狭い、音楽理論的な意味に使われている。だからモーツァルトのK. 545のC# は、次の左手のF/F#同様、4度から5度の5度への移行を示唆するものだ、というのが、おそらく学生のレポートに要求されるものであり、「新しい何かが」というのは、専攻外の学生であれば賞賛されるが、理論の基礎を通じた人間には許されない書き方のように思われてしまうのである (もっとも感覚的にそのことを発見した、あるいは音楽理論を知っていてい確信犯的にあのように書いたということであれば、それはそれで、読者層を想定したものであるだろうけれど) 。
ただ、吉田氏のそのような「分析」が、音楽の魅力を理解する助けになっていることは確かで、完全には否定できない。音符の配置には何かしらの力学やら意味付けというものはある。では、そういった「評価 (evaluation) 」がどの辺りまで許されるのかというのは、問わねばならない問題だと思うのだ。いやもちろん、柴田南雄の『音楽の骸骨のはなし』みたいなものを要求されても困るのだが (^^;;
ところで、彼の評論にかける意気込みにはただならぬものを感じる。それは日本全体を最初から受けて立つ覚悟であったようである。ただ彼の前にも音楽で文章を書く人間がいたという点で、彼の回りに「誰もいなかった」というのは、ちょっと疑問に思う点ではある。譜例を使った評論にしても、もしかしたら翻訳の仕事をしていた時に出会っていたかもしれないロベルト・シューマンだってやっている (作品論/演奏論の違いは認めるとしても) 。音楽研究者だっていた。ただ、その「音楽評論」に誰もが否定しえない社会的意義、そして存在意義を認めさせた大きな存在が吉田秀和であり、常に一定の基準以上を持ったものを提供したということでは、やはりプロフェッショナルと言わざるを得ない。
投稿者 cs3daime : 13:08
2007年7月 4日
LPレコード2題
Sophie-Carmen Eckhardt-Gramatte (Masters of the Bow, Edition 4). World Records WRC1-1211 (LP) .
Masters of the Bowは、SP時代の名手を復刻したLPのシリーズ。同名のCD2枚組がDGから出ているようだが、全く別内容みたいだ。
このレコードでは、演奏よりも、弾いている曲の方がやたらと気になった。「協奏曲イ短調 (バルセロナ、1925年) (独奏) (無伴奏) 」とあるから、自作ということか。聴いた感じ、パガニーニ崩れというか、現代版パガニーニというべきか。技巧を入れるがために作りました、というのはパガニーニもそうなのかもしれないけれど、何ともまとまりや収拾がつかないという印象を持った。解説を見ずに音源だけとにかく聴いていたので、4楽章形式の協奏曲だというのも分からなかった。
W. A. Mozart. Symphony No. 35 in D major, K. 385 "Haffner." N.D.R. Symphony Orchestra, Hamburg; Pierre Monteux, conductor. Turnabout THS 65124 (LP).
以前この人が指揮したチャイコフスキーの第5交響曲を聴いたとき、その前のめり気味の拍節感に、やや息の詰まるような印象を感じてしまったのだけれども、モーツァルトの35番の颯爽とした、積極的な音楽には共感することができた。昨今のhistorically-informed performanceは、オーケストラの大きさをこれよりもさらに小さくしているのだと推測するが、大オーケストラが一気呵成に進む様は、むしろこのまま踏襲できるのではないかとさえ思う。ストレートなテンポを保つ点では、独特の間のあるウイーンのようなやり方とは違うかもしれないけれど、決して気品が失われたとも思えない。音の立ち上がりの良さ、はっきりとしたダイナミクスなども、近年流行のスタイルにつながるような印象がある。
投稿者 cs3daime : 18:00
2007年7月 2日
吉田秀和氏の番組を一部拝見
吉田秀和氏の軌跡を追う番組を教育テレビでやっていたので、これを録画した。昨晩も11時台に20分くらい観たので、思いついたことを、ダラダラと記述しておこうと思う。いつもの如く、上段に構えた記述になっていることはご容赦いただきたく。
吉田氏のステレオ、「結構良さそうなの持ってるね」と思ったけれど、世のクラシック・マニアは高価な装置を揃えてるだろうから、驚いているのかもしれないなあ。今月の『レコ芸』を見たって、30万以上の装置が目白押しだ。私のような、装置にそれほどお金をかけたいと思わない人間からみれば、「良い装置を持つこと自体は良いが、質素な装置でも音楽の本質はつかめる、そうでなければいくら高価の装置を持っていても意味がない」という趣旨の発言は、充分納得がいく。現に演奏を実践する人たちの持っている装置がどんなに質素なものかは、よく知られたところである。もちろん演奏家が、録音による演奏遺産にそれほど関心がない問題はあるし、はなから機械による音楽は「本物」でないと割り切っているところはあるが、やはり「本質」 (音楽学の文章で使うのは、おそらくタブーな用語) が消えてしまうということないと、私も思うのである。
ホロヴィッツ1983年の公演は、私にとっては懐かしいものだった。まだ中学生で、もちろん生演奏など聴けるはずもなかったが、NHKで放送していたのを聴いて、「なんてヘタクソなピアニストだ!」と思ったものだ。音は派手にハズしていたし、テンポも、かなり揺れていた (まるで酔っぱらってるのかと思ったほどだ) 。NHKニュースでは前宣伝が大々的にされていて、あの指が反り返る様にあっけにとられ、超絶技巧を要する作品を涼しそうに弾く姿に度肝を抜かれたから、余計に落差が大きかった。でも反面、批評家やマスコミが持ち上げていたから、その時は自信を持って批判をするなどということはできなかったと思う。また、カセットで録音したと思うが、すぐに消去してしまった。今思うと、貴重な記録だったかもしれない。当時吉田氏がその演奏を「ひびの入った骨董」という評論をしていたのは知らなかったけれど、後に有名な文章だったことを知った。
最後の場面で語っていた、音楽学者と音楽評論のくだりは、私も感じているところである。客観的な記述が求められる学問と、鳴り響く音楽を自分のものとして捉え、伝える評論の世界。もちろん背後には共通するものがあるのだけれど (いずれこれについては、改めて考えてみたい) 、やはり評論には音楽学ではできない世界があり、音楽学は評論のようにいかない部分があるのだ。
吉田氏が万年筆で書いているというのは、今の時代、大御所だからできることだとは思う (原稿提出は添付テキスト・ファイルが一般的だとmixiのコミュニティでは書かれていた) 。しかしアナログでやることの大切さは私も感じている。良いアイディアや文章は紙に手で書いている時の方が浮かびやすい。私も文章を推敲するのが書く時より楽しいのであるが、それもプリントアウトした文章にボールペン (私はパイロットDr. Grip通常版と三菱uniのLoknock赤ボールペンのインクの出かたが好き) で書く時にアイディアが思い浮かぶからだ。吉田氏のような豊かな語彙を持ち合わせていないけれど、である。
要点を少ない言葉で述べる、これは実に難しい。私の場合は演奏より作品について書く事が必然的に多くなるが、何を選択してどのように述べるのか、いつも悩まされるところである。演奏会と違って、聴きながらメモを自由にとれるのはいいが (演奏会場ではなるべくやらないようにしている) 、枝葉末節なことばかり書いてしまうということがあるからだ。
まだ観ていない部分が大半なので、いずれ時間ができたら、また日記に感想を書いてみたい (→続きはこちらです) 。
投稿者 cs3daime : 11:03