2007年2月21日
さらに、聴いたもの
Michael Daugherty, UFO: Music of Michale Daugherty. Evelyn Glennie; North Texas Wind Symphony: Eugene M. Corporon, conductor. Klavier K 11121.
ジャケットがなんとも怪しく、CDの「円盤」デザインも、とっても怪しい。アルバム・タイトルの《UFO》は、最初こそ効果音と声が、これまた怪しいが、吹奏楽の演奏部分になると、案外フツー。ドアティはヨーロッパの中古レコード店で「アメリカ音楽」として認知されている音楽に興味を持ったそうだ。リゲティに師事していたというのは知らなかった。
Ferde Grofe, Hudson River Suite: H. M. King Norodom of Cambodia, Cambodian Suite etc. Andre Kostelanetz and His Orchestra. Columbia CL 763 [LP].
《ハドソン河組曲》はコステラネッツが委嘱し、初演を行なったグローフェの組曲。<リップ・ヴァン・ウィンクル>は、アメリカ版浦島太郎といったところだが、おそらく話の中で異邦人たちがゲームをやってる場面なのだろう、ボーリングのピンが倒れるような音が2回、派手に入っている。「こんな音入ってたっけ?」と思ったので、ストロンバーグ盤 (Naxos) を聴いてみたけど、ウッドブロックのような音しか入ってなかった。
《カンボジア組曲》はカンボジア国王による作曲なんだそうだ。エキゾチシズムがちょっと顔を覗かせるムード音楽といった感じ。
その他、アーサー・フィードラーが3回録音している《蚊の踊り》はしっとりとした感じの演奏。ハーシー・ケイの《西部交響曲》からの<土曜の夜>は、フィドル・チューンの楽しさが伝わってくる。
Virgil Thomson, Cello Concerto. Emmanuel Feldman, cello: Nashville Chamber Orchestra: Paul Gambill, conductor. Albany TROY833.
おそらく悪い演奏じゃないと思うんだけれど、録音のせいか、薄い響きのオーケストラに対し、独奏チェロが「一人勝ち」のようになっていて残念。モノラルLP以来の新録音で、細部のやりとりがより明瞭に分かるし、作品も面白いのに。
Morton Feldman, Untitled Composition for Cello and Piano (1981). Rene Berman, cello; Kees Wieringa, piano. Attacca Babel 9160-3.
おそらく最初に買ったフェルドマン・ディスクの (2枚中の) 1枚。買った当時は、なぜか受け付けなくて、全く聴いてなかった。でもその後、ボストン在住時にOdysseyのLPにて彼の音楽に開眼したのは、このCDによって、作曲家の名前を知っていたからだと思う。そういう意味では、記念となるディスク。
この機会に改めて聴いてみると、フェルドマン作品の中ではアグレッシブなエネルギーが溢れる内容で、「こんな録音もあったのね」という認識。ピアノの音が美しいのはプラス要素。
このほかフェルドマンでは、Hans Zender指揮による、独奏楽器とオーケストラのための作品集 (CPO) も楽しんだ。大胆にコントラストやダイナミクスの変化をつけた、これまた興味深い録音。
William Grant Still, Symphony No. 1 ("Afro-American", 1930): Movt. 2-4. Detroit SO; Neeme Jarvi, conductor. Chandos CHAN 9154.
オーボエがブルーノートを演奏するのは、変わってるといえば、変わってるなあ。また、ジャズっぽいというだけで、この曲の作曲年代が、実際の1930年よりも、ずっと後に感じられるのは面白い。ソナタ/緩徐楽章/スケルツォと続きながらも、第4楽章は重厚なのだな。ライナーにはブラームス式の構成と指摘されているけど、なるほど、そういう風にもとれるかも。
奥田恵二の『「アメリカ音楽」の誕生』というのは、アメリカ音楽史を扱った本の中では、割とクラシックに多くページを裂いていると思っていたけれど、スティルのような作曲家が入ってないのは、やっぱり「古い」のかな。
Pauline Oliveros, The Wanderer; Horse Sings from Cloud. The Springfield Accordion Orchestra; San Falcetti, director; Pauline Oliveros, solo accordion. Lovely VR 1902 [LP].
オリヴェロスのLovelyへの録音で、CDになってないものの1枚。もう1つの "Accordion and Voice" の方は持ってない (聴かせていただける方はご一報を) 。The Wondererは、いわゆる「ソニック・メディテーション」ではなく、スローなイントロと賑やかなメイン・セクション (2/2+5/8拍子?) という構成の、楽しい作品。「歌」と「踊り」という2つのセクション分けは、ポール・クレストンを思い出してしまうけれど、音楽様式に、それ以外の類似性は感じられない。おそらくアコーディオンの新しいレパートリーに興味を持っている人のための音源ではないかと思う。いや、もちろん曲として純粋に面白いですけどね。
Horse Sings from Cloudは、例の、アコーディオンの「呼吸」から開始。ちょっと不協和色の強いスタートはオリヴェロスとしては珍しいのかな。ホールの残響はあまり長くなく、大きな音のするアコーディオンがホールいっぱいというのは、「瞑想」するには難しいかもしれないと思ったりもする。ライナーによると、ソロ・バージョンは "Accordion and Voice" に収録されているとのこと。う~む、聴きたくなってくるぞ。
投稿者 cs3daime : 00:31 | コメント (0)
2007年2月19日
読んだもの、聴いたもの
Kyle GannのAmerican Music in the Twentieth Centuryを眺め始めている。20世紀後半のアメリカ音楽、その中でも、日本で「実験主義」や「ダウンタウン」に分類されている作曲家を多く扱っているように思われた。これまではバビットをはじめ、セリエリズム/アカデミズムが中心のものが主流で、私が「1945年以降の音楽」を夏学期に聴講した時も、使ったのはSchwarz&GodfreyのMusic since 1945だった。この他には、David CopeのNew Directions in Musicが有名で、ニューイングランド音楽院では、おそらくこっちを使っていたんではないだろうか。個人的には、Copeで扱っている音源にアメリカ色が多く、またレアな作曲家を多く扱っているので興味を覚えるが (この本のディスコグラフィーに載っている音源を集めていたこともある) 、その独特のセレクションに面食らう方もいらっしゃるのではないだろうか。
Gannの場合は、最初からアメリカに絞られており、W. シューマンやバビットもあるが、バビットを中心とした流れは、扱いが割と小さい。調性復活以降にしても、コリリアーノやツウィリッチの扱いは小さい。
本の体裁から、おそらく学校の教科書として使うことを考えて作られたと思われるが、おそらく大半のアカデミズム的な人からは、「独特の色のするもの」として捉えられるのではないかと思う。
しかし日本では、こういう類の本の方が、人気が出ると思う。日本にこれまで紹介されている作曲家が中心だからだ。
Music from 18th-Century Pennsylvania. Bucknell University LP 623 [LP].
ホプキンソンのMy Days Have Been So Wondrous Freeが最初に収録されている。アメリカ最初の世俗歌曲と言われている作品。ウィルソン・ブラウンのロンドは、おそらくピリオド楽器による演奏。でもレイナーグルはモダン。
収録作品:Hopkinson. My days have been so wondrous free.--Hopkinson. Come fair Rosina.--Hopkinson. Beneath a weeping willow's shade.--Brown. Rondo I.--Brown. Rondo III.--Reinagle. Sonata in D major for pianoforte.--Lyon. Psalm 8.--Dencke. Music for Christmas Eve, 1767.
Phil Winsor. Melted Ears (1967). Advance Recordings FGR-14S [LP].
ベートーヴェンの《ハンマークラヴィーア》など、引用から始まる作品。アメリカらしく、どこかしら大まかなところがあるが、けっこう面白い。ウィンソーはコンピュータ音楽で有名らしいけれど、これはWilliam AlbrightとThomas Warbutonによるピアノ・デュオのための作品。それでもライナーを読むと、テープによる音響操作を生演奏のアイディアに生かそうとしたもののようだ。なるほど、確かに、そう聴こえなくもないな。2台で演奏するからこういうことができる、のかもしれない。
投稿者 cs3daime : 18:07 | コメント (0)
2007年2月14日
久々にアメリカ音楽の音源を聴く
Francis Hopkinson, 8 Songs for Tenor and Harpsichord. Thomas Hayward, tenor; Melville Smith, harpsichord. Cambridge Records CR-711 [LP].
ホプキンソン (1737-1791)はフィラデルフィア生まれ。後にペンシルヴァニア大学となるフィラデルフィア大学に学び、弁護士の資格を取得する。彼はトーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンとともにアメリカ独立宣言に署名し、初代の海軍長官にもなった。
8つの歌曲は彼の代表作であり、とてもやさしい感じで書かれた品の良い歌曲集。チェンバロ伴奏のため、ついバロック時代を想起させるけれど、もっと音楽的には広く大衆に受け入れられそうな素朴な歌曲ばかりである。なお、この作品は、ジョージ・ワシントンに献呈されている。
同作品はVoxBoxの "American Sings: Volume 1: The Founding Years" にも別の演奏があるけれど、これは古いモノラル録音。裏面にはRobert Burnsという人の12の歌曲も収録されている。
「アメリカの独自性」が音楽に求められていない時代、いや、ヨーロッパ風の作品を「来開拓の国」でも作りたいという流れの中で、知識層から誕生した自国産の音楽として捉えたい。
Elmer Bernstein, Guitar Concerto (world premiere). NPR, "Performance Today," 28 October, 1999.
映画音楽の作曲家がコンサート用の曲に取り組む時の困難は「自由」であるという。何か具体的な物語を想定した標題音楽を作曲することもできただろうけれど、それでは面白くないということか。
作風は、メロディアスな旋律をあちこちに散りばめ、ドラマチックなアピールを持ったもの。今の「聴衆を求める」現代アメリカ作曲家 (コリリアーノ、ハートキー) なんかよりは、ずっと素直に調性で書く態度に私は共感するけれど、作品そのものの面白さというのは、またそういった哲学とは別に捉えたい。
もちろん「映画音楽で有名な作曲家がコンサート曲も書きました」という世俗的アピールを故意に狙ったものではないにせよ、どこかしらエピソーディックな構成になってしまう嫌いはあるように思う。
Thomas Jefferson: A Life in Music, WGBH, Boston (APR), 4 July 1993.
第3代大統領のジェファーソンは音楽愛好家としても有名で、自らヴァイオリンをたしなんだそうだ。作曲も行なっていたが、子孫が暖炉の火をつけるために燃やしてしまったらしく、そのかなりが失われてしまったらしい。
番組では彼の生涯に触れながら、18世紀に流行した舞曲を紹介し、当時の黒人音楽についても言及されている。もちろん黒人音楽についての記録は、口承文化だったこともあって、白人によるものだった。歴史的にも「なかったこと」にされてしまうのは実に残念であるが、文章と、現在も実践されている音楽から類推するしかないようだ。
投稿者 cs3daime : 23:48
近況 2/7~2/12
2月7日 (水) は、フィンランド放送交響楽団の演奏会@石川県立音楽堂を楽しみました。曲はシベリウスの《タピオラ》、ドヴォルザークのチェロ協奏曲 (ミッシャ・マイスキー) 、ブラームス2番。アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第1番ト短調と、シベリウスの《悲しいワルツ》という組み合わせ。
ヴァイオリンの両翼配置は最近の流行のようですね。それでチェロが下手、ヴィオラとコントラバスが上手ということだったような気がします。かなり低音が舞台全体を覆うような、ずしんとした響きで聴こえてきました。おそらくそれは、ヴァイオリンが右左に散らされることの効果よりも、オーケストラ全体の響きを決定付けたという印象を持っています。こういうバランスで演奏すると、ラジオでちゃんと聴こえるということだったのかなあ?
ただ、《タピオラ》の、弦楽器による終盤の嵐のような音響の部分は、それは凄まじい音が出まして、それに管楽器による色彩が加わると、かなり効果的だと思いました。あっと言う間に弾き切ったような印象です。
ドボコンというのは、生だとなかなか音量的なバランスが難しい曲のようですが、マイスキーはかなり懸命に鳴らしていたようには思います。ただ、会場に来ていた友人の言う通り、何分個性の強い演奏家ですから、大オーケストラよりは、独奏や室内楽の方が向いているようにも思いました (アンコールに無伴奏第3番のブーレ。これは素晴らしかった) 。一方、ブラ2もそうですが、オラモの、ぐいぐい引っ張るようなリーダーシップは発揮されていたと思います。
やる気が出れば、もうちょっとちゃんとした感想も書きたいな、っと。
なお、演奏会の直前にはレコード・ジャングルに寄って、海童道宗祖『法竹』 (ポリドール [ユニバーサル] ) を購入。ステレオ録音のPhilips盤は聴いたことがあったんですが、ポリドール盤の方が俄然、迫力がありますね。素晴らしい。2尺6寸でしたっけ? この尺八。LPの方はヤフオクで法外な値段で出品されていましたので、今回は即入手。
9日の金曜は、久しぶりに「アナログを語る会」に出席。私からは、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団でワルトトイフェル (フランスの作曲家だというのは、最近まで知らなかった!) の《スケーターズ・ワルツ》をかけました。さすがにみなさんにとっても「おなじみの曲」だったようで、それなりに受けも良かったです。
ディズニー本の宣伝もさせていただき、来月は、ぜひ何冊か持ってきて欲しいとのこと。すでに出版社からの献本分はなくなってしまったんで、また10冊ほどスタイルノートさんから購入しようと考えております。
ネットを見る感じ、港区図書館を初め、全国で3つの図書館において、ご購入いただいたようです。港区では予約も2つ入っているようで、ありがたい限りですね。
ということで、「アナログを語る会」、来月はDJを担当することになり、ディズニーもおそらくやるハメになりそうです。
この金曜日からは、東京から妹が帰省しており、さっそく9日の金曜はココナッツ・アイランドに行ってきました。ここの、季節限定イチゴ・パフェは、何とも絶品なのでございます。最近はオフ・シーズンにマンゴ・パフェも美味なのですが、やっぱりイチゴ・パフェは無敵。他の喫茶店などでは、パフェ完食は「あり得ない」のですが、ここのは例外といえます。
その後、Sports DepoとXebioなど、スポーツ用品店に立ち寄りました。
10日の昼は、東町のアムール・ド・レイブに挑戦。おそらくフレンチ系のレストランで、私はちょっとセレブに2000円のランチをトライし、フィレ・ステーキを食しました。といっても、量的には、アントレとスープ、パスタ (フレンチなのに、なぜか) など、それぞれが適度で、デザートまで、うまく配分されており、女性の方でも大丈夫なんだそうです。店員の方も丁寧な対応で、オススメかもしれません。
11日はまったりとして、音楽を聴き、夜はイル・キャンティでカジュアルなイタリア料理を楽しみました。気さくな感じで、おいしいドレッシングも、予約しておいたおかげで入手できました。
12日は金沢へ。片町Pregoで妹が買い物。その後、駅西のタイ料理屋に行こうとしたのですが、なんと1月いっぱいで閉店とのことで、富山に帰りました。
投稿者 cs3daime : 23:43 | コメント (0)
2007年2月 6日
近況
2/1 (木) にガーシュインについて調べた記事を送付。とりあえず「充実したお原稿」とのお言葉を編集からいただく。深い学術的云々というよりも、情報提供といったところか。
今月のディスクにはフェルドマンのViola in My Lifeが入ってる (CRI→New World) 。フェルドマンのピアノがめちゃめちゃ美しい。なぜか録音データはCRIのにしか書いてないんだなあ。New Worldはいつもの通りで文献表が付属。結局2つ持ってて資料的にはプラスということか。
土曜と日曜 (2/3、2/4) は金沢大学の市民向け講座。土曜はインドネシアのジャワ島の火葬儀式を録画したものを観て、後半はポピュラー音楽。それにしても、基本的に葬儀であるのに、ガムランなんですね。すごい。
ポピュラー音楽、クロンチョンって、ハワイアンっぽいところもありますね。ダンドゥッドは節回しがシタールみたい。インドとマレー系が混ざってるそうですが。ラップはもう、言葉だけインドネシアという感じ。
バリは観光として、また生活の中に儀式が定着していることもあって、ガムランはよく演奏されているそうだが、ジャワでは、伝統音楽として保護はされる一方、一般大衆はポップにお熱で、ガムランはもっぱらカセットでたしなむそうだ。日本のようになってきてるなあ。
日曜日、2日目は、タイのポップスとネパールのガンダルバ(擦弦楽器サーランギ演奏で門付を行なうカースト)について。
タイの方は、現地語でリリースされたDVD、VCD、CDをふんだんに使っての紹介。伝統音楽はよく紹介されている一方、こういうのはタイ語が分からないだけに、ありがたい。例のワールド・ミュージック・ブーム以来、日本でもいろいろ本が出ていたようで、興味を持った。
ネパールの方は、なんといっても、最下層のカーストの現実に打ちひしがれる。門付といっても、日本の僧侶に対するような、尊敬の念が微塵もなく、邪魔者がやってきたので、お金をやらないと帰らない、といった扱いである。座る場所も与えず、水を直接もらえず、コップを差し出して、注がれるのを待たねばならないという境遇。しかし出てくる音楽は実に素晴らしい。
音楽家の中で地位を向上させた者たちは、こういった門付ではなく、観光用の演奏をするが、その演奏スタイルは大きく変わってしまう。一方、もとのガンダルバは、蔑まれるだけ。次第に滅びていくのが定めなのだろうか。社会問題と絡んでくる問題は、本当に難しい。
ところで、市民講座に参加された方は、いずれも定年を迎えられた方々で、この手の音楽に、強い興味をお持ちのかたばかり。私の前に座った人は、地元でも尺八吹きとして有名だそうで、仕事をしていた時も、暇をみつけては海外に出かけていたらしい。奥様とともに、アジア各地の様々な活動に参加されていて、人生経験豊富。民族音楽に関する知識もおありで、こちらもためになった。
月曜・火曜はレビュー原稿の締切。それが終わってほっとしている。で、今日は市民大学院で興味を持ったので、タイ音楽のドキュメンタリー"Two Faces of Thailand" (Shanachie) を観た。おそらく制作は80年代前半だろうから、授業の頃とはかなり違っていると思う。タイ国王の音楽に始まり、タイ・ボクシングからLuk Tungへと話題を広げていく1時間あまりで、やはりこの国の社会問題と絡めた問題提起になっている。なぜか日本の第一製薬やホンダのテレビCMも登場。