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2006年1月30日

リトルフット、ディズニー調査、etc

今日はフクロヤ二口店にて『リトルフット』のDVDを購入。アメリカ版DVDは持っていたのですが、吹き替えが聴きたかったのと、一応日本語字幕も見たいと思っていたからです。

しかし実際に見てみると、日本語字幕は付いていませんでした。がっかり。結局吹き換え版をちょっとだけ覗くだけになりました。字幕はダイアナ・ロスの歌の部分にもないので、さらにがっかり。アメリカ盤ではキャプションが当然あるので、便利なんですけどねえ。

でも、このアニメはそもそも絵が子供向けという感じがします。ディズニーよりさらに年齢層が下というか。でもアメリカ人は結構この作品を見て育ったという人も少なくないようで(もちろん年代的な問題はあるでしょう)、しかも続編が本当に「続々と」出たようですね。この作品については、またメモを取るつもりです。

午後はあまり物事に手が着かずでしたが、ディズニーの『不思議の国のアリス』関連の資料をちょっとだけ眺めていました。案外戦後作品でも、きちんとした資料というのはないもんですねえ。結局DVDを見ながらメモというのが基本で、肉付けを他の資料でやっていくという形になりそうです。スコア担当のオリヴァー・ワレスの経歴にしても、以前までは『SaveDisney.Com』にあったのですが、サイト自身が閉鎖されてしまいました。プリントアウト+ファイル保存しておいて、本当に良かったです。ネット上の資料というのは、いつ無くなるか分かりませんよね。

後はアメリカのアマゾンから届いたサーカス音楽のCDなど。Angel/EMIからリリースされた "Under the Bigtop" というアルバムです。演奏しているのはThe Great American Main Street Bandという、怪しい名前の団体ですが、演奏自体はサーカスのシチュエーションに合わせたコンピレーションにもなっていて、大変面白いです。フレデリック・フェネル/イーストマンWEにも "Screamers: Circus Marches" (Mercury) というのがありますが、個人的には"Under the Bigtop" の方がサーカスの雰囲気がリアルに伝わってくるように思います。フェネルのは演奏も良いのですが、「サーカスで演奏されていたというマーチの名曲をみなさんにお聞かせします」みたいな感じでで、ちょっと生真面目なコレクションという印象。それにAngel盤の方はサンバやChinese March Characteristiqueという副題(?)の作品も入っていて、バラエティーに富んでいます。

おしむらくはピエロが演奏するカリオペが入っていないということで、これはまた別に入手する必要があるようです。

投稿者 cs3daime : 21:56 | コメント (0)

2006年1月29日

[CD] ノリントンの《英雄》 (旧) ほか

ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調 作品55 ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ 英Virgin Classics 5 61943 2 (5 CDs)

《英雄》といえば、ロマン派の授業で「英雄主義」を語る時、槍玉に上げられる作品です。私も「19世紀の音楽」という授業でやりました。担当のダグラス・シートン博士がこのノリントンの演奏を使ったのですが (図書館からではなく、ご自分で買われたCDだったようです。もちろんReflexeのレギュラー盤) 、英雄の葛藤を表現する和音の部分や第1主題を現代の平均律で調律されたピアノで弾いた後、このCDを聴いたのでした。ところが、ノリントンの旧盤は古楽器を使っていてピッチも低いので、さっきピアノで弾いた変ホ長調とのずれのために、自分の音程感覚に狂いを感じてしまいました (CDの演奏がニ長調に聞こえてしまったようです) 。どうやら先生も含め、クラスの大半も同じことを感じたようで、シートン博士も気まずい顔をしていたのを覚えています。

調性とピッチは本質的に違う問題を扱っているんでしょうけれど、一方で、例えば特定の調によって醸し出される曲想が作曲者によって敏感に作品に反映されていたのであれば、このピッチの違いというのも、結構大きな問題になるんでしょうか。

昨日・今日とモートン・グールドの《フォール・リヴァーの伝説》を聴きました。『レコ芸』はシャーマーホーン (Naxos) 盤ですので今朝はそれを、昨晩はこれと比較してローゼンストック盤 (Albany) を聴きました。《ジキルとハイド変奏曲》もLP (←画像、米RCA Victor LM-2264) を買ってしまってあったので、CD-Rに落として何度か聴きました。

あとはテリー・ライリーの音源をいくつか。昨日はAmerican MavericksにあるComposer's Voiceというオン・デマンドのファイルを聴きました。ライリーも本当に幅広い作風で書いています。先日新宿ユニオンで入手した "Ten Voices of the Two Prophets" などは、最近のライリーの活動につながるような音のようですね (シンセ使ってますが…)。CDが出ているのも知らずカット盤を高い値段で買って、損した気分…。

午後はジェームズ・ホーナーのBio. を調査。『アメリカ物語』から『バルト』まで、たくさんのアニメをやってます。まあ今じゃあほとんど忘れ去られてしまった部分の経歴なのかもしれませんが。『リトルフット』の主題歌、ダイアナ・ロスの "If We Hold On Together" は名曲ですねえ。 ホーナーがスコアからのメロディーをつないで歌にしています。サントラ・ファンの間では、この『リトルフット』を高く評価するようですね。

投稿者 cs3daime : 16:15 | コメント (0)

2006年1月27日

リヒテル《平均律》、W. シューマン、海兵隊バンド etc. (CDメモ)

今日も「ですます調」で行ってみます。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 スヴィアトスラフ・リヒテル(ピアノ) 独RCA Victor Gold Seal DG 60949

タワー渋谷で安かったので、つい購入。すいません持ってなくて。リヒテルの《平均律》は、大学学部の時第1巻の第2番のプレリュードを聴き、それに対して一種の拒否感のようなものを感じていたから、なかなか手を出せないでいたんですね。当時はレオンハルトのようなしっとりとした趣のものやグレン・グールドのような演奏が刷り込みのようになっていたからかもしれません。《イタリア協奏曲》にいたってはレオンハルトの演奏を聴き過ぎたために、グールドに対しても「う、違い過ぎる」なんて思ったものです。一度にいくつかの解釈を同時に聴けば良かったんですけどね。地方の教育系音楽には、《平均律》といえば、当時リヒテルの音源(すでにCD時代だったのにLP!)しかなかったなあ。今はグールドくらいは置いていてくれるといいんだけど。

※ (05.1.27. 追記) 一時期私は鑑賞室(と呼ばれていた)のCDを購入する係になっていたことがあって(学生が自主的にやっていたんです)、グールドのCDを買ったかもしれません。安いのが出ましたからね。

ベートーヴェン 7番+ブラームス 3番 クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 英BBC Legends BBCL 4167-2

スケールは大きいと思うのですが、ややシャープさ、鋭さが物足りないという気がしました。

アメリカ海兵隊バンド Selection 日パワーハウス PHCD-1001~5 (5CDs)

しばらくは手に入るだろうと思っていたら、通販では遂に入手困難になってしまいました。上京の際、新宿のタワーに1組だけ残っているのを発見し、あわててカートに入れた次第 (^_^;; 実はボリス・コゼフニコフの交響曲第3番《スラヴィンスカヤ》が楽しみの一つでした。私はどちらかというとオリジナル曲好きなので、アレンジ物が多いこのコレクションにあまり興味が持てなかったというのも購入遅れの原因になりました。空軍のLP『Premieres』でもCDにしてくれたら絶対すぐに買うのになあ(そう、スミスの《フェスティヴァル・ヴァリエーションズ》の入っているアルバムです)。

オリジナルといえば、Klavierがウィリアム・シューマンの吹奏楽作品集を出しました。ジャック・スタンプ指揮キーストーンWE(K 11155)。いつかレビューしたいと思っているCDであります。スタンプがシューマンにインタビューしたものが26分ほど収録されておりまして、音があまり良くないので聴きやすい訳ではないんですが、スタンプがシューマンの熱烈なファンだったというのも面白いですね。

その他シューマンによると、クリストファー・ラウスは子供の頃図書館にR. シューマンの第4交響曲のスコアを探しにいったのだが、家に帰ってみたら、第6交響曲だということに気付いたそうで、それからW. シューマンという作曲家に興味を持ち、やがて親交を持つに至ったということだそうです。ふ~ん。

またパーシケッティとシューマンは仲が良く、パーシケッティから受けた影響も強いんだとか。

その他、、他の資料でも多少は知っていたのですが、作曲においては、旋律を他のどの要素よりも重要視するとのこと、そして作曲する前には、その作品の感情やムードについて確固としたアイディアを持って望むということだそうです。形式は旋律や楽想に従うものであり、2次的なものでさえあると。

と、途中まで聴いております。

さて、先日某音楽大学へ行ってまいりました。用事の前に時間があったので、図書館を覗きに。いろいろ試験が近づいているためか、沢山の学生さんが勉強しておられました。グレゴリオ聖歌のネウマ譜を現代譜にしておられる方、アート・マネージメントのレポートらしきものに取り組んでおられる人等々。そして、この学校は坂崎紀さんの譜例集を使っておられるようだ、とチェック。

音楽図書館というと、もちろん私はアメリカで体験しているのですが(総合大学ではありましたが)、日本では国立音大以来、久しぶりに拝見しました。しかもCDが開架になっていたので楽しかったですね。『小泉文夫の遺産 ~民族音楽の礎礎』という、例の高~いCDセットもフツ~に置いてあって、うらやましいです。クナの56年リング(キング盤)もあったなあ(Orfeoのが欲しい今日この頃です)。東京佼成のCDも揃ってた。

本については、やっぱり自分の専門は変わっているからか、アメリカ音楽関係はどうしても足りないところがありますねえ。でもバーンスタインの日本語書籍が揃っているのは壮観。アイヴズの洋書も多いかもしれない。

ちなみにビデオのコーナーではディズニー・アニメ『ピノキオ』を3人でご覧になる女子学生さんたちがいらっしゃいました。楽しそう。他にはミュージカル?のドキュメンタリーぽいのとヴェルディの《マクベス》の映像がちらっと見えました。

いい環境で勉強してるな~って思いました。

投稿者 cs3daime : 00:16 | コメント (0)

2006年1月20日

歴史、資料

Richard J. Evans. In Defense of History. New York: Norton, 1997.

音楽ではなくて歴史学の本。ちょっとした合間に覗いているという感じ。いま読んでいるのは歴史における「事実」とは何かという問題を扱った章である。実例が引いてあるので、具体的であり、いちいちうなずいて読んでしまうところがある。いま記憶に残っている部分では、アーカイヴの資料として何をどのように取捨選択するのかという箇所が面白かった。アーカイヴィスト自身も、実はdocuments (text?)選択の段階でpre-conceived ideasを投入してしまうことが、確かにあるのだ。エヴァンズが探していたドイツの資料が危うくアーカイヴィストによって捨てられようとしていたのはすごい。アーカイヴィストがそもそもいないというのも歴史資料が収集・集積されないという問題になりそうだが、そういうアーカイヴィストがいても、歴史の全体像を認識するのは難しいものだと思った。

次はもうちょっと哲学的な、deconstructionどうとかの話。世の中に起こっていることすべてが所詮textであったとしても、実際には科学的な?証明によって、後々必ず同じように繰り返されるtext (あるいは繰り返されると多くの人が考えている textのようなもの?)と、そうでない全くcapriciousなtextがあるように思う。つまりtextにも何かしらの階層性を我々は認めているのではないか、あるいはそういうtextの中で我々は生きているのではないかと思われるのだけれど、どうだろうか。あれ、そうすると、やっぱりcontextが必要になる? textはcontextによって作られる、ということをimageする? でも何かしらコミュニケーションが設立しているように見えて生活が進むというのは、共通理解とは…う~んソシュールでも読み直せってか? え、textって用語の使い方が間違ってる?  (恥) いや、history と storyの違いとか、いろいろあるからなあ。

よく分からないけど、この本は面白そうだ。

ちなみに邦訳もあるようだ↓

投稿者 cs3daime : 22:21 | コメント (0)

2006年1月14日

日本ジャズ原論 (感想メモ)

日Polyster Jazz Library/Jazzbank (P.J.L.) MTCJ1081

去年の暮れ、神保町の某レコード店で購入したCD。なんとなく手に取って何となく買った。一緒に『海ゆかば集』も購入している。

今日はSP録音に刻まれたモダン・ジャズの記録としてジョージ川口&BIG4の演奏を堪能。極めて上品で、それでいてれっきとしたジャズ演奏という印象。《フライング・ホーム》はSP4面に分かれていたのを人工的につなぎもせず面の切れ目でポーズが入るというマニア向けな収録方法だ。

私は日本のジャズ史については何も知らないので、このCDの帯に記されているような「日本のジャズの原点」というコピーに反応できないのが残念(でも購入の参考にはなったということかな?)。ただ、何年も前、細川周平さんにお送りいただいた資料では、戦前もポール・ホワイトマン流のシンフォニック・ジャズがいち早く演奏されるなど、戦争によってアメリカと関係が悪くなる前までは、割とポピュラー音楽の流行に対して日本も敏感であったことは分かる。

それにしても中村八大のピアノはうまいなあ。この人が《上を向いて歩こう》を作曲したんだなあ。

そしてこういうのが現在フツーに良質なジャズ演奏として味わえるということは、当時はかなりオーセンティックでスゴい演奏であったということなのかもしれない。

投稿者 cs3daime : 22:18 | コメント (2)

2006年1月10日

気になること

今、ちょっと気になることが2つある。

1つは年賀状をいただいて、ちょっと気になったこと。それは電話番号の書き方である。市外局番を含めて電話番号を書くにはいろんな書き方があると思うのだが、なぜか首都圏からくるハガキに圧倒的に多い書き方が xxxx (xxx)xxxxである。

他には (xxxx) xxx-xxxx、xxxx-xxx-xxxxという書き方がある。おそらく私はこれまでこの2つのどちらかで書いていたような気がする。首都圏以外のハガキはあまりないためか、全国的な傾向としては分からないのだが、いずれもこの2つのうちどちらかであった。

こういう慣習はどのようにできるのか、興味があるところだ。

もう一つ気になることは「なめられている」という言葉である。近年やたら勇ましく「日本はなめられている」という言い方を耳にする。誰が言い始めたのだろう? そして日本人はこの「なめられる」のが相当頭に来るらしい。

日本のアニメを観ていても、「なめるなよ!」というセリフがよく使われている。なぜかアクション・シーンに多いようだ。英語字幕をみると「俺を軽く見るなよ」といった訳になっている。そういえばアメリカではあまり聞かない言い回しかもしれない。

アメリカでも "I wanna be somebody" とか "you're noboday" とかいう言い回しはありそうだけれど、これは「なめる」といったニュアンスとは違うような気もする。何も大きなことを成し遂げられない平凡な人であることを揶揄するときに "nobody" が使われているような感じがする。

投稿者 cs3daime : 19:28 | コメント (0)

2006年1月 8日

フランスのオルガン音楽も

ステレオによるフランス・オルガン音楽の祭典  E. パワー・ビッグス (オルガン) (St. George's Church, NYC) 米Columbia MS 6307 (LP)

大学の学部時代に音楽学の先生から借りて以来久しぶりに聴くLPである。デュプレの《古いノエルによる変奏曲》が好きで借りたんだったと思う。楽式論かなにかの期末試験で出題された曲だったかな?

ボストンのMystery Trainという、確かNewbury St. にあった中古店で購入している。値段は4ドル。

改めて実家の安価な装置で聴くと、結構低音が派手に入っていることが分かって面白い。またストップによってはっきり左右が分かれていて、ジャケットの裏を見ると、それも聴きどころだったようだ(ビッグス自身によるライナー)。

いずれも適度な長さの親しみやすい作品ばかりで、最後に重厚な変奏曲という構成か。それにしてもデュプレのクライマックスがああいう風になっていくのは冒頭の静かなノエルからは考えにくい。音色も変奏のアイディアも、実に豊富。フランクとかデュプレの作品って、もっと親しまれてもいいんじゃないだろうか。特に派手なオルガンを設けたコンサート・ホールなんかでは、バッハなんかよりもオルガン・スペクタクルになって喜ばれるかもしれない。

ところでこのE. パワー・ビッグスはレパートリーが広くて、私も全部が好きという訳ではない。でもこのLPは割と気に入っている。ぜひCDにしてほしい。

収録作品:Widor: Toccata in F Major, from the Fifth Organ Symphony; Saint-Saens: Fantasia in E=flat Major; Franck: Piece Heroique; Eugene Gigout: Scherzo in E Major; Louis Vierne: Final, from the First Organ Symphony; Jehan Alain: Litanies; Dupre: Variations on a Noel.

投稿者 cs3daime : 00:33 | コメント (0)

2006年1月 3日

年末年始に聴いた音楽

今日は「です・ます」調にしてみよう。

大晦日はDVDでムーティ/ミラノ・スカラ座の《ドン・カルロ》を堪能しました。ムーティというのは本当に良い指揮者ですね (パヴァロッティに違和感を感ずるレビューがAmazon.co.jpにはありましたが…) 。この人の《ナブッコ》も良かったし、CDではウイーン・フィルとのモーツァルトの交響曲第25番が好きです。

年が明けてからは、FolkwaysやLibrary of Congress (Rounder) レーベルの、いわゆる「ルーツもの」をいくつか聴いています。『RCAブルースの古典』なんかも。だからスクラッチノイズが頭の中に充満しているかもしれません。中村とうよう著の『アメリカン・ミュージック再発見』なんかと一緒に楽しんでいます。

その他には、モザイク弦楽四重奏団によるハイドンの作品77 (Hob. III: 81~83)↑を楽しみました (仏Astree E 8799、現在は違う番号かもしれません) 。何か月前の『レコ芸』にも彼らの記事がありました。実は私もフランスのミュージシャンと思っていたところがありまして、演奏者の名前をちゃんと見ればすぐに分かりそうなものですが、CDもAstreeでしたからね。そういえばモザイクSQのCDのジャケット・デザインは白っぽくてファンシー路線になっちゃいましたが、私はこの渋いデザインの方が好きだったりします。

モザイクSQはモーツァルトもBoxで出てますが、私はハイドンの方により惹かれます。粗削りでワイルドな感覚に溢れているからでしょうか。《太陽》弦楽四重奏曲 (作品32、Hob. III: 31~36) もいいですね (仏Astree E 8785、8786、いずれも現在は違う番号になっている可能性があります→HMVを参照)。特に32番の第2楽章「カプリッチョ」が素晴らしい。ユニゾンもこういう文脈で使うと、すごい表現になるものです。ウルブリヒSQも持っていますが、私はモザイクSQの方を聴くことが多いです。

そういえばモザイクSQは、ベートーヴェンの作品18も録音したんでしたよね。ベートーヴェンはハイドンの流れをモーツァルトからよりも受け継いでいるように思うので、いつか購入して聴いてみたいです。

ハイドンのSQといいますと、私はオルランド弦楽四重奏団による作品76/6 (Hob. III: 80) が最初でした (Philips 410 053-2) 。この第2楽章はグラウトの音楽史にも出てくるんですが、何かしら規則からはみ出さない均整美で聴かせるといったイメージで「古典派」を捉えると、どうしてもそこからはみ出てしまうような面白い転調をしますね。彼のシュトルム・ウント・ドランク期の交響曲をお聴きになった方はそれほど驚かれないかもしれませんが、ハイドンは実験精神旺盛な作曲家で、やはり既成の音楽に甘んじなかったのでしょうね。

投稿者 cs3daime : 21:10 | コメント (0)

アメリカにおける「戦争」意識

テレビのエンターテイメント番組で日本国憲法の戦争放棄の項を巡っての激しいケンカ (議論ではない) を5分ほど観た 。アメリカ同様、軍隊を持つことが「現実的」であるという考え方が日本にも広まりつつあることを感じた。一方第2次世界大戦の後の日本は、アメリカと違って平和な年月を重ねて来た、これもやはり「現実」であることは認識すべきであろうと思う。これは夢ではないのである (バブル崩壊の後、人々はその前もすべてひっくるめて第2次世界大戦後の繁栄をすべて「バブル」 --「あぶく銭」ではなくて「幻影」と捉える人が多い?--と観ているのかもしれないけれど) 。アメリカにおいて「postwar」という言葉を語る時、それがどの戦争を指すのかを問わねばならないというのもこれは日本が「戦後」という時代に起きた数々の戦争があったという「現実」がアメリカにはあったからである。

しかしアメリカにおいても、例えばその本土が実際の攻撃に遭ったということを考えれば、例の「9・11」の前というのは真珠湾攻撃ではないだろうか。飛行機が2つ飛び込んだ日、CBSのダン・ラザーがいみじくも「infamy」という言葉を使ったのも、やはり真珠湾とオーバーラップするところがあったからだろう。武器が外国から襲ってくることの恐怖を体感したと私は思った。

アメリカ人が戦争を語る時、そこにどのくらいのアクチュアリティがあるのか、と思うことがある。もちろん政治家や軍人、さらには戦地で実際に命令を遂行する兵士たちにとっては、かなり現実的な話であろう。自分の親類が無事還ってくるのか不安に思う家族たちもそうだろう。

一方、そういった「現実」をCNNやFoxなどのテレビで観ながら普段通りの生活をする人たちはどうなのだろう、ということが気にかかる。もちろん自分の収めた税金によって賄われているアメリカという国がどういう「外交政策」をしているのかということについては現実だろうと思う。しかしテレビの画面に映っている火や弾丸が自分の家を襲うわけではない。亡くなった人の体や血を見るわけではない。「敵」とされる人たちがどう思っているのかも、おそらくほとんど伝わってこない。

例のイラク侵略が決定された時にアメリカ人の友人が叫んだ喜びが今でも忘れられない。彼はどれほど戦争を「現実」のものとして把握していたのだろうか。戦場はいつも外国なのである。第2次世界大戦も、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、湾岸戦争も…。

アメリカは世界一の軍隊を持っているのだという。

それでもツイン・タワーは破壊された。

世界をまるごと破壊できる武器を持つ国なのに。

あれは、たくさんの武器を持てば良いのではないことが証明されてしまった瞬間ではなかっただろうか。

ところで日本人は軍隊が欲しいのだろうか。「誇り」や外交のために???

今の自衛隊の現状でどういう対処ができるのか、どういう問題点があるのか、何をどういった方法で守っているのか、米軍とはどのような演習を行っているのか、そんな議論をエンターテイメント番組に求めるのは無理ということだろうか。「現実」の認識は必要だと思うのだが。

熱く語る (?) テレビ・タレント (政治家という肩書きを同時に持つ人もいるようだ) を見ると、そんなことを考えてしまった。「とにかく軍隊が欲しい」という熱意だけは伝わってきた。その番組に出演していた大人が「外交の際、軍隊があると強く発言できる」と語るのと、その傍らにいたゲストの子供タレント (?) が「最終的にモノを言うのは火薬ですよ」と言ったのとでは、実はそれほど距離がなかったのではないだろうか。子供は実に素直である。

ちなみに私は「丸腰になれ」とは言わない。ただ防衛=軍事増強なのか、ということは考えつづけなければいけないと思う。

アメリカのドキュメンタリー番組『Victory at Sea』や『Air Power』などを観れば分かるように、第二次世界大戦の終結は米艦ミズーリ号上での降伏文書調印である。戦争終結というのは、結局政治上の紙ペラ1枚なのである。この場面も、私には強い印象を残している。

投稿者 cs3daime : 18:56 | コメント (0)