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2005年12月29日
リスト、ツェムリンスキー、その他
リスト 超絶技巧練習曲集 ジョルジュ・シフラ (ピアノ) 東芝EMI (EMI Classics) TOCE-1304
~愛の夢&ラ・カンパネラ~ 未発表リスト名演集 ホルヘ・ボレット (ピアノ) BMGファンハウス (RCA Red Seal) BVCC 37332
「ピアノの魔術師」というキャッチフレーズがリストによく当てられる。しかし実際演奏されたリストから心の奥に響く詩的インスピレーションを感ずる演奏というのは、それほど多くないように思う。技巧の難しさ、いや機械的な困難さが演奏そのものに伴うだけでなく、それが目的と化しているものも、残念ながら多いようだ。
しかしソナタロ短調といった極めて絶対音楽的タイトルの作品であっても、リストの音楽には技巧があったから、優れたピアノがあったから、初めて可能になった表現があるのであり、それを自己のものとして具現化する必要があるのだと思う。
最近ジョルジュ・シフラの《超絶技巧練習曲集》を聴いて、そんなことが、ようやく分かりかけてきたような気がする。そして標題音楽は描写音楽とはイコールではないということもだ。クラシックへの導入として馴染みのある主題をもとにした音楽を我々は聴くことがある。しかし標題の付けられた音楽がすべて、すっと親しみやすく語りかけてくるような、タイトルが明確に音符になっているようなものでないということは明らかであり、リストのピアノ作品やベルリオーズの劇的交響作品を聴くには、一度頭の中を整理しないといけないように思う。
ボレットの演奏についてはカーネギー・ホールのライブ録音を聴いてから俄然興味を持つようになった。それまでのボレットというのは、私の偏見で申し訳ないのであるが、「やたらとリストを録音している人」とイメージだった。しかしRCAの未発表リスト名演集にしても、最盛期のボレットによるリストは本当に音色が美しく、また楽想も止めどなく流れ出る。技巧的パッセージはその背後で、力強く音色豊かに音楽を立体的にする。鍵盤とハンマーと共鳴板の限られたスペースから、これほど豊かで大きな空間支配が可能なのか。通俗的に扱われがちな 《ラ・カンパネラ》にこれほどまでに音楽的に生きた対位法的楽句があることも、これまで聴き逃してきたのである。
ああ、それにしても、この人の脂の乗り切った頃のリストがもっと聴けたらどんなに幸せだろう。これだけでおしまいなのだろうか?
ツェムリンスキー クラリネット三重奏曲ニ短調作品3、シェーンベルク 室内交響曲第1番 (ウエーベルン編曲) アンドラス・アドルヤン (フルート [シェーンベルクのみ])、エデュアルト・ブルンナー (クラリネット)、ドミトリ・シトコヴェツキー (チェロ)、ゲルハルト・オピッツ (ピアノ) スイスTudor 717
NHK-FM放送の『リクエスト・アワー』のDJを諸井誠さんがをやっていたころに耳にし、それ以来時々取り出しては聴いているCD。ラジオ放送されたのはツェムリンスキーの方だ。ブラームスの影響は、例えば曲の冒頭で低音域に集中響きなどがそうなんだろう。また旋律を滔々と聴かせるよりも、じっくりと動機を積み上げて展開していくところなども、きっとそうなのだろう。
ウエーベルン編曲の室内交響曲の軽妙さは実は気にいっていて、演奏の爽快さとあいまって、とても聴きやすい。
一方三重奏曲というのは、どうしてもピアノの活躍する場所が大きくなってしまう。旋律楽器が2つをピアノが和声的に支えるということか。2つの楽器のためのソナタという印象もなきにしもあらず。いや悪いということではなく、おそらくそういうつもりで書かねばならないのだろうな、ということ。
ジョシュア・クール 金管五重奏曲 サタデイ・ブラス・クインテット WGBHスタジオ1ライブ 1994年6月17日エアチェック・テープ
どのような作品かと問われ「この作品では、各奏者はマウスピースを手のひらで叩いたり、息を吹きかけたり、『チュチュチュ』とウィスパーした音を楽器の中で響かせる」などと書くとかなり現代的・前衛的な音楽を想像されるのかもしれないが、実際はこういった音響操作はポップなビートを生み出したり、蒸気機関車を想起させる効果音だったりする。一方でこういう音を背景に作品自体は調性もしっかりあって進み、おそらく大半の人は面白く聴けるのではないかと思う。個人的には日本にも紹介してもらいたい作品(作曲者のスペルはJoshua Kuhlだと思う)。
作曲者クールは、かつてオマハ交響楽団の主席コントラバス奏者で、現在はスペインに住み、オーケストラで活躍とのこと。ミネソタ作曲家フォーラムで演奏する際に送られてきた楽譜や音源からサタデイ・ブラス・クインテットの連中も面白いと選曲したのだそうだ。
投稿者 cs3daime : 20:12 | コメント (0)
2005年12月27日
サイト更新
さまざまなリンクにあったURLを訂正。「松岡正剛の千夜千冊」を追加。
アメリカのクラシック音楽のシーグマイスターの音楽を改訂しました。《オザーク・セット》と《ブルックリンの日曜日》の入ったLPについて、簡単な楽曲解説です。前者はCDにもなっているので、参考になる…かな? Siegmeisterはシーグマイスター、ジークマイスター、どちらも可能性があるようです(私のフロリダ時代の先生によると)。ネット上ではジーグマイスターという表示も結構あるようですね。
アメリカのクラシック音楽のクレストンの音楽に追加。CDについては、いずれ機会を改めてご紹介するかもしれませんが、ここではとりあえずサキソフォン・ソナタのLP1枚です。
(2005-12-04 00:02:20) アメリカのクラシック音楽にスティーヴン・メリロの音楽のコーナーを設けました。とりあえず手っ取り早く書ける内容です。エアチェック・テープを整理していたらみつけた曲で、今はMP3ストリーミングで聴ける "Stormworks"という曲を取り上げました。
(2005-12-02 11:14:02) アメリカのクラシック音楽にコリリアーノの音楽を設けました。とりあえずの内容で申し訳ありません。少しずつ足していくつもりです。カウエルの音楽のコーナーも《オンガク》の部分をちょっとだけ改訂しました。
投稿者 cs3daime : 17:49 | コメント (0)
2005年12月26日
あああ、あの雑誌が~~
12月17日、所用で上京した際、例のごとく古賀書店に寄ったら、あの『トランソニック』が第5巻のみ欠本で1~12巻揃いになって売られていた。ものすごく興奮したのだが値段が3万円というところでたじろいでしまった。結局お店を出て自販機でミルクティーを買って飲み、ササキレコードに立ち寄って(何も買わず)財布とにらめっこしながら再度ためらい、えいままよと古賀書店に勇み足で踏み入った。しかしながら当該の場所にあった『トランソニック』は見事に消えていた。この間約20分くらい。
お店の人も私が悔しがっているのを察したらしく、以下のような会話を私に聞こえるように話してくれた。
A「例のがなかったから『まあいいや』って感じだね。」
B「例の人じゃなくて、あの先生が来て買ったんだっけ?」
まあ私に直接「すいません、売れました」と言わないように教えてくれたのだと前向きに解釈しておこう(くっそお~)。
この話をWeb-Criのオフ会で報告したら、以前は欠号なしの揃いが5万6千円で出されていたそうで、それもたちまちなくなってしまったそうである。恐ろしや。
なんでも『トランソニック』は国会図書館にもないのだそうだ。こういう貴重な雑誌が図書館で容易に入手できれば苦労しなくていいのに、と思った。「3万円得したんだ」と自分に言い聞かせるとこにしよう(くそお~)。JSTORなんかにアップしてpdfで読めるようにしてくれ~~~。
その後、自遊空間の中古屋にてジェローム・カーンの《ショー・ボート》全曲 (EMI)、ラサールSQのツェムリンスキーSQ (国内盤) を中古で入手。2つで6千円ちょっとだったのでオッケーとするか (酸っぱいブドウ…)。この日はシゲティによるアイヴズのヴァイオリン・ソナタの新録のLPも別の場所で入手(CDでは『海ゆかば集』も購入)。1980年発行のCarol Ojaのディスコグラフィーによると、シゲティのアイヴズ新録音はこれが唯一リリースされたものらしい。もっとも詳しい方によると、CDにもなっていたが、あまりにも知られざるリリースだったので、ほとんど注目されなかったという。
ところで富山には19日に帰ったのだが、この日は羽田空港から、まるで絵に描いたような美しい、夕日に映える富士山を拝むことができた。多くの人がデジカメやケータイで写真を撮っていた。一方の富山空港では、無料駐車場に停めておいた私の車の上に60センチくらいの雪がこんもりと積もっており、車の前にも30センチほどの雪があった。このままでは帰れないということで、家からスコップを持ってきてもらい、何とか駐車場から抜け出すだけの除雪をしてから、なんとか帰宅した。今年北陸は久々の大雪。しかも12月にこれほどのものとは驚きである。
富山へ向かうJAL便にて放送されていたNHKニュース、どうやら愛媛で録画されたものらしく、全国ニュースが終わりローカルニュースになると松山だの宇和島だのという地名が飛び出してきた。すぐに切られてしまったので残念だったけれど、私はこういうローカルの部分が好きだ。告げられる地名が地元視聴者向けに町村単位の細かいものになるからだ。「おお、これは全国向けでない地域特産のニュースなんだ!」という気分になるのである。
NHKでも首都圏のローカルニュースは全国ニュースと同じアナウンサーの人が伝えるので、これまた新鮮である。「え、全国ニュースと同じキャスターでやるの? 豪華じゃん」と思ってしまうのである。スタジオも広いしなあ。
投稿者 cs3daime : 14:54 | コメント (0)
2005年12月13日
ディズニー映画の舞台裏 (?)他
"The Reluctant Dragon" in Behind the Scenes at the Walt Disney Studio. Disney DVD 28070.
1941年製作のディズニー映画。俳優でユーモア作家であるロバート・ベンチリーが妻からケネス・グラハムの作った物語『ものぐさドラゴン』を次のディズニー映画にしたらどうかとディズニーに提案してくれと頼まれ、ウォルト・ディズニーに会いに行くというお話。そしてウォルトに会うまでに案内スタッフの元を抜け出し、偶然にアニメの製作現場をセクションごとにすべて見るということになっている。今見ると(当時も?)スタッフの芝居が何とも安っぽいので辟易してしまうが、演技付きのスタジオ案内と考えれば、それなりに楽しく観られる。ディズニーがすでに先駆けて作っていたという(笑)『The Reluctant Dragon』のアニメも最後に付いている。
もちろん音楽に関する場面もあり、フランク・チャーチルが参加してストーリー会議をやっている場面もあるし、ドナルド・ダックとデイジー・ダックがオーケストラ伴奏で歌う(?)場面もある。また『ダンボ』のサーカス列車ケーシー・ジュニアの登場するアニメにアフレコで音入れをするという場面も非常に面白い。ただマイケル・バリアーによると長編アニメでアフレコのスコア付けをやったのは『シンデレラ』からなので、その点には注意が必要である。ケーシー・ジュニアの声を作る、今日ではヴォコーダー(?)のような装置も面白そうだ。何という名前なのだろう? レコードで効果音で再生し、一方ではコードのついた大きなパッドを両手で首に当てがい、声を立てずにささやくと、レコードに録音された効果音がささやきの母音とミックス(?)されて、言葉になるようだ。
太陽の王子 ホルスの大冒険 東映ビデオ DRTD02103 (DVD)
間宮芳生が作曲、新室内楽協会による演奏。増田睦実 (ソプラノ)がヒルダの歌部分を担当。オーケストラも当然小さく、ヒルダの歌はリュート伴奏で上品な仕上がりである。 『ロマンアルバム』には楽譜も載っていて、《ヒルダの歌》の「昔々…」という出だし部分のリズムが割と自由に歌われていることが分かった。リュート伴奏とプレ・スコアリングによる賜物といえる。
それにしても、いわゆる「宮崎アニメ」(より正確には「高畑アニメ」?)というのは、こういところから出ていたのかと改めて実感。名作である。「団結して物事を達成する」というのは、当時のベトナム戦争云々、東映の労働運動云々とかを考える必要もなく、物語の骨子を支えるエネルギーとして生きていると思う。いや~、これを今まで観ていなかったのは不覚。TSUTAYA掛尾店にDVDがあるのは素晴らしい(ここには『西遊記』もある)。
この『ホルス』は次の『長靴をはいた猫』と合わせて東映動画の最盛期を物語るものという。『長靴』というのは、最初観た時からNHKの人形劇を連想してしまったが、『ひょっこりひょうたん島』の宇野誠一郎ということが分かって納得。ちなみに日本コロムビアの10枚組CD『東映動画長編アニメ音楽大全集』には《カラバ様万歳!》の回転数変化ナシのバージョンが収録されている。しかしあのギャグがないと、単なるフツーの行進曲に聴こえてしまうというのも事実。『東映動画アンソロジー 劇場篇 1958~1971』(トライエム MECB-2014)収録のは映画と同じ。
ヨハン・シュトラウスII世 喜歌劇《こうもり》序曲 ヨゼフ・クリップス指揮フィルハーモニア・プロムナード管弦楽団 セラフィム(東芝EMI) EAC-30194 (LP)
むかしアンドー楽器で買ったLPレコード。『ポピュラー序曲集』とあり、スッペの《軽騎兵》、《詩人と農夫》、オーベール《ボルティチの物言わぬ娘》 、オッフェンバック《天国と地獄》、シュトラウス2世《ジプシー男爵》などが入っている(一部はダグラス・ギャムリー指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団。
この中では、なんといっても《こうもり》が傑作。といっても感動の名演というよりは、何とも言えない趣味の悪さが笑いを誘うという類いのものである。特にワルツにおける「タメ」の具合が「あ~あ、やっちゃった~」という感じで、何ともイイ。最後の「タン、タン、タン」も、しっかり別テンポでオチが付いている。これはワザとやってるんだろうか、と思っていたくらいなのである。
でも経歴を見ると1914年ウイーン生まれ、ウイーン音楽院とウイーン大学に学び、フォルクスオーパーで指揮者もやったということだから、生粋のウイーン音楽家になるんだよな~。う~ん、まさかこういう演奏がオーセンティックなウイーンのテンポ、なのかなあ。ボスコフスキーが聴いたら、のけぞりそうだなあ 。
投稿者 cs3daime : 22:06 | コメント (0)
2005年12月11日
カーター、カウエルCDを聴きながらの雑感
エリオット・カーター 室内楽作品集 Nouvel Ensemble Moderne; Lorraine Vaillancourt, conductor. カナダATMA Classique ACD2 2280
音楽とはすなわち空気の振動であるという言い方を耳にしたことがある。では音と音楽を分けるのは何か、というところでいつも踏み止まってしまう。モダニズムの作曲家が「音は何を表現するのか」ではなく、音の運動、音程やリズム、ダイナミックスといった音を分類・支配するパラメーターに注目していることは確かだが、この「運動」というものは、そのまま「空気の振動」ではないように思えてくる。
「ある音楽作品=空気の振動」というところに何かしら抵抗を感ずるからドラマや「音の構築」に走る、あるいは反対に「音=空気の振動」の方向へと積極的に近付こうとする。こと20世紀はこの2つのどちらかに進もうとしてきたのではないか。
そういった行動が、もちろん音楽外的な「意味」を求める必要はない。しかし、音の振動と人間が、何らかの形で対峙していることは確かであり、それにたいして行動を起こす度に芸術的な?意思決定をしているのではないだろうか。
ヘンリー・カウエル 器楽、室内楽、声楽曲集 第1集 ジョエル・サックス、シェリル・セルツァー指揮Continuum 香港Naxos 8.559192
実験的精神はどのように音として具現化されるのだろうか。確かにトーン・クラスターとカウエルが名付けた、必然的に不協和的になる音はある。奏法も目新しい。不思議なのは、そのクラスターの上に、何とも親しみやすい民謡風の旋律が乗っていること。
…と以前は思っていたのだが、そもそもそういう風に不思議に思うこと自体が、いわゆる現代音楽・前衛音楽の語法を知る後付けの発想なのかもしれない。もともとカウエルにとっては、過去も未来も、洋の東西も自然に(安易に?)共存し得る、あるいは一つの世界に平和に生きるということで良かったのかもしれない。つまり、やれここに前衛的な語法、やれここに民謡風な音楽、と分けて不思議に思うこと自体モダニズムの罠に囚われているのではなかろうか、と思うようにもなってきた。
おそらく19世紀的なものを選別し、できるだけそれらから遠ざかろうとするならば、19世紀的なものを見極めることが第一、現代的と考えられるものを選別することがもう一つ。でも、いつも間にか、そういう発想でずっと来ているというのは、つまりが現代音楽を愛好してしまう者であれば、誰しもが取り憑かれてしまうものなのだろうか。先日レビューのために聴いた後期作品と合わせて、考えさせられる問題だ。