2005年7月28日
何語?
先日久しぶりに英語で話している夢を見た。海外在住時、「夢は日本語ですか? 英語ですか?」と訪ねられたことがある。海外留学をしている人がよく尋ねられる質問の一つらしい。
しかし帰国してから英語の夢を見るのは初めてかもしれない(なんで今さら?)。登場人物や詳細など一切覚えてないのだが、不思議なことに、「これ、英語だよな」と夢の中で自分に問いかけていたのである。
ここ数日CNNをCATVで観ているからだろうか。そのCNN、コマーシャルの部分は明確にアメリカと違うので、どうもそこでテンションが下がる。番組の宣伝がほとんどだし、その他には東京の小さな外国人向けの不動産情報とか、ローカルなCMばかりである。時には日本語のCMまで出てくるので感覚が狂う。
アメリカのテレビ番組もいくらか録画してきたのだけれど、ほとんど公共放送の番組ばかりだったので、あのバカバカしくて素っ気ないアメリカのCMが懐かしくなってくるのである。そして、こういうCMを観ると、妙~にアメリカ生活を思い出す。
話を夢に戻すと、その夢に出る登場人物や設定は国境を越えることがある。例えば留学中に見た夢だと、寮の近くに日本の実家周辺の風景が存在したり、アメリカの友人と日本の友人が何の言語の障害もなく友達のように話しているといったこともあった。お互いを全く知らないはずなのに。残念ながら何語話していたまでは覚えていない。あるいはこれも二か国語混合だっただろうか。
投稿者 cs3daime : 09:10 | コメント (0)
2005年7月22日
ベートーヴェン+アメリカ音楽
ベートーヴェン 交響曲第5番、アイヴズ 交響曲第2番 ヒュー・ヴォルフ指揮フランクフルト放送交響楽団 HR Klassik HRMK 025-04
近年、アメリカ流に言えば "historically-informed performance" (「歴史的知識を持った演奏」と訳すべきだろうか)が幅広い時代の楽曲に対して行われるようになった。このCDでもモダン楽器(つまり「古楽」が盛んになる前の「通常のオーケストラというべきか?)を用いながらも余分なビブラートを削ぎ落とし、すっきりとした響きで聴かせている。しかし一方でベートーヴェンの音楽に期待される「押しの強さ」といったものを捨ててもいない。低音を轟々と響かせるということだけが風圧を感じさせるような「押し」にはならないということだろうか。
アイヴズの第2交響曲はベートーヴェンの第5と組んでCDとするという点ではユニークだけれど、ベートーヴェンの演奏に聴いた新鮮さが感じられないのが残念である。
フクロヤ上飯野店にて、ジュリアードSQの現代音楽作品集(ベルクの《叙情組曲》カーターのSQ2、ウィリアム・シューマンのSQ3、英Testament SBT 1374)を購入。
投稿者 cs3daime : 23:09 | コメント (0)
アジカンのCDなど
崩壊アンプリファー KI/OON Records KSCL 542
アニソン・タイアップ商法(?)に自ら引っかかってみる。ここ1週間くらいは、車の運転をしながら、何度も聴いた。聴くほど味が出てくるようだし、収録曲は、どれも面白いと思う。トップに来ている《遥か彼方》がやっぱり良いと思うけれど。
遅ればせながら、その《遙か彼方》のイントロはバイクのエンジン音だと気づく(頭のべース、派手なフィルインの後00:18~00:21周辺のギター)。なかなかリアルだ(「アクセル」という歌詞があるのだから、早く気付けよ!)。Intro-AABC-Interlude (Bridge?)-AABC-Codaで、Aの最初の部分はギター2本のうち1パートがロングトーン、もう1パートが刻みと、他の曲よりもギター2本の違いがはっきりしている。
しかしドラムの人はうまいなあ。聴いている私も自然にバックビートでステップを踏むようになる。
この曲はキーがFなので、ヴォーカルのギリギリのBbが実に効果的。反対に《サンデイ》の場合はCmからスタートしてEbへとシフトするため、Bbの限界が明かにされてしまう。でもなぜか喉声で高音域に挑戦するところに魅力を感じる。
私がアメリカにいた時に乗っていた車にはCDプレーヤーがなく、音楽を聴く手段はラジオだけだった。クラシック愛好家としてクラシックの局を一番よく聴いていたのだけれど、あまり面白くない時はカレッジ・ステーションに合わせていた。メインストリームフトップ・ヒット・チャートには乗ってないだろうけれど、学生DJがそれぞれの耳で選んでかけるプログラムはとても面白かった。曲やアルバムやアーチストのアナウンスがひどく適当で、数曲続けて演奏されることもあったのが残念だったが、「面白いな~これ」と思われる曲が、いい割合でかかっていた。クラシックは全くなかったのだけれど、別にそれは全く構わない。
アジカンの「1st Mini Album」を聴きながら、いい意味で、アメリカのカレッジ・ステーションでかかりそうな面白い音楽を発見したような気になった。こういうのを「ガレージ・バンド」と呼んじゃうと失礼になるんだろうか?
ソルファ KSCL 737
こちらは富山市立図書館所蔵。録音がずいぶん違ってて、ギターとドラムスがきっちりセパレートされている。好みとしては『崩壊…』のミックスにサウンドの一体感があるし、音も、もっと前に迫ってくるように思う。ヴォーカルはファルセットも積極的に使っている。おそらく歌手生命を延ばすには、こういったリラックスした唱法の方が安全なのだろうな。そのファルセットを表現にしようとしているのも分かる。一方で《リライト》のサビに聴くような声の張りがもっと欲しいように思えてしまう。
曲のバラエティに関しては『崩壊…』よりはずっと多彩だし、エフェクターもいろいろ使っているんだろうし、声のリアルタイム・フィードバックなんかも聞こえるけれど、好みとしては、多少モノトーンでも『崩壊…』の方を何度も聴きたいと思ってしまうのだから、不思議なものだ。「エモーショナル」だからかなあ。
投稿者 cs3daime : 13:32 | コメント (0)
2005年7月18日
カートゥーン/アニメ本/NARUTOなど
Barrier, Michael. Hollywood Cartoons: American Animation in Its Golden Age. Oxford University Press, 1999.
アメリカン・カートゥーンの歴史を一時資料・インタビューを多数駆使しながら丁寧に記述した力作。こんなものはなかなか書けないだろう。80年代のドン・ブルース、90年代のディズニー、同時代のその他各社の動きに関しては他の資料を当たらねばならないが、短編カートゥーンについて調べるのであれば、おそらく基本資料の一つとなるだろう。筆者の作品批評に賛同するかどうかはともかく、研究対象に強い愛情が感じられるのがうれしい。個人的にはLeonard MartinのOf Mice and Magicよりも好きな本。
山口康男 日本のアニメ全史:世界を制した日本アニメの奇跡 テン・ブックス 2004年
大胆なタイトル。年表など資料を含めて224ページ。おそらくコアなアニメ・ファンは「あれもない、これもない」といった声を上げそうである。しかしアニメ製作の実際やスタジオの事情、時代背景などが分かりやすく書かれているのはありがたい。どんな本でも批判的に読む(必ずしも「否定」的ではない)のは大事であるし、この本に書かれていることから、いろんな方向へ関心が広がっていくことだろうと思う。ページ数が4・5倍あれば、もっと個々の作品に踏み込んだ内容になったのかもしれない。
個人的には「70年代以降」の章で扱われている作品から『ガンダム』まではリアルタイムに楽しんでいるので、「あれも観た、これも観た」という感じで楽しめた。一方「世界を制した」という時代は、おそらく私が米国に滞在していた90年代半ば前後ではないかと思う。フロリダのタラハシーにいた時に「Japanimation」というセクションがビデオ屋に出来たときの衝撃、その後媒体がDVDになって 呼び名も「Anime」へと変化したことなどを思い出す。もっともこういうお店に出回る前から、大学には日本アニメ・クラブのようなものがあり、「Fan Sub」と呼ばれる私家製の日本アニメのビデオ(字幕付き、非売品)が大量にあった。そしてそういうクラブには日本人の会員もいて、ビデオを借りたり、時には字幕の英訳を手伝ったりもした。私がいた時期には、『もののけ姫』の字幕作りに協力した日本人もいた。
とうことで、私がこの本に付け加えてほしいことは、Japanimation→Animeとなった頃の日本のアニメ、それも映画以外の多くの作品について知りたいということである。実際アニメーション・クラブやビデオ屋にはテレビ・アニメのビデオ・DVDもあったのだし、日本人向きにこの本が書かれているのであれば、90年代に子どもだった「世代」の作品も、もっともっと扱われる必要があるのだろう。
ところで『NARUTO -ナルト-』のマイブームはその後も続き、早速コミックス蒐集を始めている(とはいっても、ほとんどが古本であるけれど)。笑い、アクション、ドラマ、友情(とその裏切り)、愛情、登場人物の成長など、とてもバランスがとれた内容で楽しんでいる(少年漫画なのに政治的な側面が盛り込まれているのも興味深い。忍者というより軍隊といった印象もあるが、作者の育った土地に自衛隊の基地があったことが影響しているのだとか)。コミックス単行本を蒐集したのは15年ぶりくらいか。あの時は『名門! 第三野球部』だったなあ(プロ野球編の辺りでやめてしまったけれど)。ところでこのマンガには『第三』の根底にある「『落ちこぼれ』の成長」があり、一方で『ドラゴンボール』っぽい絵が(アニメ版に)多いような気がした。単行本に書かれた文章によると、実は作者・岸本斉史氏はこの2作に触れ、影響を受けているということだそうだ。26巻116-117ページのコラージュ手法は、そういえば『第三野球部』にもあったなあ(甲子園出場を決めたあすなろの一打の場面だったかな? 懐かしい)。
その「『落ちこぼれ』の成長」、主人公檜あすなろの所属する『第三野球部』、つまり三軍チームが晴れて一軍になってからは、通常の強豪野球チームの話になってしまい、初期の面白さがなくなって寂しい思いをした。『NARUTO』の場合は、主人公が適度に「昔のまま」に戻ってくれるので(あるいは子どもっぽさを出してくれるので)、彼の成長を楽しみに見守ることができそうだ。
『New Type』8月号で特集されていたアニメ『NARUTO -ナルト-』の第133話も観た。キャラクターに入れ込むファンはデフォルメが気にいらなかったようだけれど、確かに「これでもか」というほどのアクションがテンポよく出されて見応えがあった(残念ながら私は「水の手法の凄さ」とかいった技術的なことは分からないのだが)。また「家族(=大切な人?)を失う傷み」や「孤独の悲しさ」といった物語の核心に迫る部分が容赦なしに吹き出し、心を打つ。
サスケは兄イタチに従って「最も親しい友を殺す」行為に走ったかのようであるけれど、次の134話ではそれを完遂せず、兄と違った方法で強さを手に入れると宣言。それまで兄の背中を追って、遂にはナルトの殺害未遂行為にまで至った自分に悩んでいるという仕掛けだったのだろうか。「千鳥と螺旋丸」の激突からこの場面までは故意に曖昧にされているので、期待を持たせる部分ではある(サスケは最終的にナルトを裏切らないのだという風に期待すべきなのだろうか)。135話はアクション無しの回であるが、繊細な心理描写が感動を呼ぶ回であり、原作第1部を締めるにふさわしい内容だった。セリフの一言一言がムードを変え、物語を進めて行くのであり、声優の力量が遺憾なく発揮されていたと思う。
#他にもサスケにとってナルトも「大切な人」であるならば、彼を失う傷みは両親を失った時の悲しみに匹敵したものになるはずなのに、やはり家族である兄により影響されたのだろうか、など、いろいろ考えさせられた。また最終的にこのマンガ/アニメ、三代目火影のいう「強さ」とは何か、「忍」の本質とはといった話にもなるのだろうな。武器や忍術は道具であってもそれを使うのは人間であるとか。
音的にはシリアスなアクションが多い133話では音楽はどうしても少なめになるけれど、上記「核心」部分で流れる70年代のドラマを思わせるようなエレキギターの旋律がナルトのセリフにある悲哀を強くしていた。こういったことはマンガではできない。水の音・風の音は、やっぱりステレオ音声だからこそ、こうも迫力があるのだろうな。135話のスコアは以前の話でも使われたものだけれど、使う箇所とスタートするタイミングがうまい。またサスケが大蛇丸のもとへ行ったことをサクラが知る瞬間、漫画では「プラン」と書いてあるだけだけど、アニメでは重々しい効果音が付加されているのも印象的だった。
そうそう、ちばあきおの名作『プレイボール』がアニメになったということを知った。『キャプテン』も15年くらい前にテレビ・アニメ化されていた。ただ『キャプテン』の場合、2時間スペシャルを無理矢理引き延ばした感じもなくはなく、アニメの質としては、必ずしも満足した出来でなかった。『プレイボール」の場合は、最初から週1アニメとして進めるということだろうから、きっと大丈夫だろう。そういえば『プレイボール』も、それほど強くない野球部が谷口に感化されて強くなっていく話だったなあ。こういうの、好みなのかも(まあ、自分も才能のない人間ですから、重ね合わせちゃうんでしょうけどね)。
もっともこのアニメの『プレイボール』、富山で放送される前にDVDが発売されそうだな。もし放送されるのであればの話だが。
投稿者 cs3daime : 21:28 | コメント (0)
2005年7月17日
想い出?
赤毛のアン 想い出音楽館 コロムビアミュージックエンタテイメント COCX38784~85(2CDs)
『世界名作劇場』(カルピス一社提供でなくなったのはこの『赤毛のアン』からだっただろうか???)をリアルタイムで毎週楽しんだ私にとっては、ノスタルジアなしには聴けない音楽の数々である。強烈なフラッシュバック(例えばマシュウの死など)とともに、涙腺が緩みっぱなしである。OP・EDが大変気に入っており、祖母にアニメ・ソングのオムニバスLPを買ってもらったことがある(男のクセにこんなアニメの音楽を買ってるなんて知られたら恥ずかしいなあ、なんて思いながら)。ところが買ってもらったLPは「うたとおはなし」だったため、音楽のみを聴きたかった私は(声優の方々には申し訳ないと今は思うが)「おはなし」部分を邪魔もの扱いしていたことを記憶している。今回このCDで、初めてOP・EDをフルコーラスで聴いた。
早速《きこえるかしら》から。伴奏オーケストラが当時の印象よりもずっと小さいスタジオ・オーケストラであることに驚く。金管楽器はトロンボーン3本(? エンディングは2本?)のみ。そしてサキソフォンも入っていたとは! ピアノの扱いもとても面白い。作曲者三善晃氏自身によるオーケストレーションの賜物か。シンコペーションによる各種メロディー(特にイントロ部分)、歌部分の3連符の使用などにも耳がいく。
一方小さい編成ながらも随所に対位法を駆使しているため、各パートに重みがあり、展開にも隙がない。たくさんの音符がつまっているのに全体として極めてスムーズに流れているのも素晴らしい。明らかにこれはコード+歌という楽曲ではないのだ。
ED《さめない夢》には中間に長いインスト部分があり、本放送時から強いインパクトを与えていた。結果として歌の部分が少なくなるからだ。アニメソングとしては型破りではないだろうか。もっとストリングスが活躍すると思っていたが、トロンボーンが強くリードしていたのは今回初めて確認できた。
15年ほど前だったか、実写映画の『赤毛のアン』を新潟市万代の小さな映画館で観た時、なぜかオープニング数分だけで涙が止めどなく流れた。どうしてかその時は全く分からなかったのだが(美しい映像のせいかと漠然と思っていたのだが)、今思うとこのアニメへのフラッシュバックが既に起こっていたのだろうと思う(この映画はアニメのプロダクションと何ら関係がなかったはず)。
そういえば放送のあった1979年は祖父が亡くなった年でもある。あるいはその時の感情が『赤毛のアン』の記憶と一緒になっているのだろうか。「そうさのォ」というマシュウの口癖が懐かしい。
#現在各種レビュー執筆中
#「アニメ/カートゥーンの音楽」という項目を設けました。
投稿者 cs3daime : 16:03 | コメント (2)
2005年7月 9日
アニメから音楽へ
先週からの『Naruto -ナルト-』の「マイ・ブーム」(死語?)に続き(コミックスの方も順次購入の予定)、当アニメのOP・ED曲を集めた『NARUTO -ナルト- ベストヒットコレクション』(Aniplex [Sony Music] SVWC7208~9)を購入。わざわざ初回限定版を探した。きのう車のなかでずっと聴いていたんだけれど、何度も聴いているのは《遥か彼方》という楽曲。ネットで調べたところ、これを演奏しているAsian Kung-Fu Generationは人気急上昇中(私は全くの門外漢なので、前々から人気を獲得しているグループなのかもしれない…それにしても凄い名前ですね)のバンドだそうだ。アニメのOP映像はいつも飛ばしてみていたので、よく覚えていなかったけれど、楽曲の構成や叫びにも似た声の歪み具合も素晴らしく、「近頃のアニメにはこんな曲が使われているの? スゲエなあ」「歌詞はどうアニメと関係してるんだろう」と思いながら楽しんだ。後で調べたら、既成曲を番組で使っていたということか。
その夜、特典DVDにてアニメのOP映像(クレジット抜き)を観た。いつも飛ばしていたので、改めて曲に聴く淀みないエネルギーの放出がOPのイメージと合っていることに驚く。多少歌詞を後ろに押し込まないとミスマッチに思えてしまったのだけれど(まあ70年代のアニソンというのは物語直結型のベタな歌詞でしたからね)、この曲を選択したセンスと映像の見事さを否定するつもりは全くない。
その映像、ハウンドドッグの《R★O★C★K★S》(個人的には、この曲は苦手である)の時の映像に比較して、前半部分におけるキャラクターの動きは限られているし(静止画挿入とCGによる回転にインパクトはある)、映像の物語性は後退しているが、それがかえって強烈な印象となっており、アピールするスタイルを確立していると思った(後半が生きてくる)。ディストーションを施したナルトの画像を一瞬挿入したアイディアにも感心。一方、歌と映像がシンクロしている感覚はクレジットが入ると分かりにくなるということも実感できた(それが良いことなのか悪い事なのかは人によって考え方が違うだろうけれど)。
ヴォーカルの音域は、前半がFを中心としたD~A、後半はF~A(Bb)(※原曲にあるコーダ部分は除く)。特に後半はピアノで弾くとまったく面白くなくなるけれど、声色や微妙なベンディングが力強い表現になっているようだ(ロックは音域の広さでなく狭さで勝負するというのをどこかで聞いたような気がする)。それまでの部分のギターの刻みの音型(サステインの有無の選択?)、つなぎ部分のドラムの音色・リズムの選び方などにも耳が行く。
投稿者 cs3daime : 08:56 | コメント (0)
2005年7月 7日
サイト更新
アメリカのクラシック音楽のギリスの音楽のコーナーにSPレコード1種類を追加。トスカニーニによる交響曲51/2番の録音です。第2次世界大戦中、米軍将兵の慰問用にアメリカ政府が1942年末から48年末まで製造したとされるV-Discの1枚です。
2005-07-06 08:11:15アメリカのクラシック音楽のハリウッド・ボウル交響楽団のコーナーにCD1種類を追加。ドラゴンのCDは大半が入手困難なので恐縮ですが、再発売されるのを祈りながら…。
2005-06-23 22:44:03 アメリカのクラシック音楽のハリウッド・ボウル交響楽団のコーナーにLP1枚追加。CDもいくつか持っておりますので、そのうち、おいおいご紹介させていただきます。今回は「変わり種」ということで。
2005-06-22 22:50:18 アメリカのクラシック音楽のカレル・フサのコーナーに、とりあえず音源を追加。筆者個人は、吹奏楽の2作品で名を残すのではないかと感じています。ネリベルも、吹奏楽作品が素晴らしい。声楽曲のLPはイマ一つでしたね(そのうちご紹介するかもしれません)。
2005-06-04 07:21:28 アメリカのクラシック音楽のドン・ギリスのコーナーを改訂しました。英VocalionのCDを追加し、オリジナルの米ロンドン盤の情報と融合しました。Albanyのシリーズもこれからリリースされるもの以外はすべて購入していますが、いま一つ積極的に書こうという気になっておりません m(_ _)m
投稿者 cs3daime : 14:38 | コメント (0)
2005年7月 3日
ポリフォニーからモノディーへ
カッチーニ:麗しのアマリッリ~新しい音楽/新しい音楽の書法 モンセラート・フィゲーラス(ソプラノ)、ジョルディ・サヴァール(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 日BMGファンハウス(Deutsche Harmonia Mundi) BVCD-38015

今さらながら、なぜ中世・ルネサンスの音楽史ではポリフォニーが中心になっていたのだろうと思う。教会の外の世界や世俗(宮廷)の世界、民衆(folk)の間には、おそらく楽譜を使って複雑に構築されるのとは違った、シンプルな歌唱形態が存在していたということが容易に想像できるからだ。ギリシャ文明の復興、言葉と音楽の関係などの理由付けは確かにあるけれど、正直いって、どこかしら空々しいものを感じてしまう。
何も根拠はないが、ホモフォニックな音楽を楽譜に記録する「価値」がこの頃になって高められたということはなかったのだろうかと思う。簡素な歌唱法に「芸術的」な価値を見いだすような意識変革があったというべきか。後で音楽史の本を読んでみなければ。
もちろんカッチーニのモノディーには、ポリフォニーよりも言葉をはっきり聴けるという利点がある。ここでは大きなオペラハウスの空間とそれを満たすための大音量のオーケストラ、さらにそれを相手にしながら発展してきたベル・カント唱法の歴史は置いておいて、少なくとも、カッチーニのモノディでは言葉のニュアンスは細かく旋律や装飾に反映されている。そしてリュートやギターはやさしく歌を支える(もっとも、小さな教会でもエコーのため言葉が聞き取りにくいということはある)。
ところで言葉のイントネーションに基づいた一本の線ということについて考えると、アジアではこれがヘテロフォニーとして、違った方向に進んでいった。西洋では和声・対位法という「足枷せ」があったため、おそらくヘテロフォニーには進まなかったのだろうと思う。
それにしても、なんとデリケートで物悲しく、愛しい音楽なのだろう。ポリフォニーだホモフォニーだと考える事さえ馬鹿げているように思えてしまう
投稿者 cs3daime : 00:59 | コメント (0)
2005年7月 2日
アニメな日々
ここ数日、アメリカに住む友人が送ってくれたアニメ『Naruto -ナルト-』の映像を立て続けに観ている。アニメ・ソング(最近「アニソン」と略されているようだ)も近年のポピュラー音楽のスタイルを素早く取り入れているのだろうな、と思いながらオープニング・ソングを聴く。小中学生をターゲットにしているのだろうけれど、舞台が学校になっていることや、恋愛に対する考え方に一種の懐かしさを感ずる。青春ドラマをギャグとするキャラクター/話もあるけれど、そういった「青春」と呼ばれていたものは、結局スタイルを変えながら根底に流れており、一種の安心感も感じてしまった。
友人から送ってきてもらった映像には英語の字幕が入っている。歌の場合には日本語で書かれた歌詞とローマ字で書かれた歌詞が上方に、英訳が画面下に現れる。さらに上方の2つの歌詞は、まるでカラオケのように、歌が進むに連れて色が付けられていく。アメリカのアニメおたくも大したものだなあと感じた次第。
ここのところ、ずっとディズニーやその他のスタジオによって製作されてきたアメリカのアニメばかり観て来たけれど、久しぶりに日本のアニメにどっぷりつかったような気がした。あきれたときの表情(髪の毛の上の大きな汗の粒)や真っ白になる顔などが妙に懐かしく感じられる。「ったく~」という言い回しも、いかにもアニメらしい。
一方、ディズニー・アニメを観て来たからか、アメリカ人たちが考える、日本のアニメの「暴力性」について、改めて認識することにもなった。「殺す」「死ね」といった言葉がかなり衝撃的に聴こえたのも事実だ。自分もロボット・アニメなどを通して日常的にこういったものに触れていたのだ。
音楽についていえば、忍者を題材にしているためか、やたらと太鼓、尺八と男声合唱によるかけ声という組み合わせがヒロイックなシーンで多く使われているのが表面的にもすぐに聴き取れる。