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2004年9月30日

ガンサー・シュラー:ホルン協奏曲第1番

GM Recordings GM2044 CD

「サード・ストリーム」と関係のない現代的な作品も少なくないシュラー。同じアルバムのピアノ協奏曲やファゴット協奏曲もその例外ではないようだ。しかしホルン協奏曲第1番は、レスピーギやフランス印象派も思わせる色彩感と優雅な和声も使ったロマンチックな作品。独奏は広域にわたる旋律で、なかなか難しそうだ。バックのホルン・パートと一緒になる辺りも美しい。独奏を担当しているリチャード・トッドは、ロサンゼルスで活躍し、映画やテレビの仕事もしているようだ。

投稿者 cs3daime : 21:44 | コメント (0)

2004年9月29日

アーサー・フィードラーの伝記

Dickson, Harry E. Arthur Fiedler and the Boston Pops. Boston: Mifflin, 1981.

フィードラーというと、親しみやすいクラシック音楽やポップス・オーケストラのために作られたルロイ・アンダーソンの作品を初演したことで知られている。彼の風貌や音楽から、とても親しみやすい人物像を想像してしまうのだが、案外プロフェッショナル気質の強い人物であることが、この本からも伺える。彼を扱ったドキュメンター映画『Arthur Fiedler: Just Call Me Maestro』でも、子供たちに、何となく嫌そうにサインをして「オレは子供は嫌いなんだ」とこぼす場面もあった。その場面の後には子供たちと愛くるしく撮影されたレコード・ジャケットが紹介されていて、本当のところは中和されているところがあるが、フィードラーは割とクールな人物であったことがこのディクソンの著作からも伺える。

まだ読み始めたばかりだが、これからが楽しみだ。

そういえば、渥美清のドキュメンタリーでも、撮影が終わった彼が寡黙にそそくさと現場を去る場面があった。「スーパーマンは飛べないんですよ」という彼のセリフは、私の「寅さん」にたいする幻想を打ち砕くことにもなったけれど、とても考えさせられるものであったことも確かだ。

投稿者 cs3daime : 21:02 | コメント (0)

2004年9月28日

Calliope--ルネサンス舞曲集

"Diversions." Calliope: A Renaissance Band. Summit Records DCD 112.

ルネサンス舞曲を集めた楽しいアルバムといってしまえばそれまでだ。しかしここではヴィオール族+リコーダーとコルネット+サックバットといった、音量の変化が面白い。ルネサンス時代には、楽器群は「内」と「外」という分類で分けられていたという。なるほどこうやって聴くと、はっきり音量差があるものだ。Summitというアメリカのレーベルは、割と地味な管楽器のCDばかりを出しているのかと思っていたが、こういう趣向のものもあるのだと認識を新たにした。

フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルでズサート組曲を楽しんだ私にはトラック (13) のロンド (17) (18) ブランスル(後者は確かPJBEではバスダンスというタイトルだった)も懐かしい。アントワープの出版社であるズサートの舞曲については、フィリップ・ピケットやデヴィッド・マンロウも録音している。本当にいろいろに演奏できるものだ。

なお打楽器、パイプとタンブール、ショーム、リコーダー、クラムホルンを演奏しているベン・ハームスはスティーヴ・ライヒ・アンサンブルでも定期的に演奏しているそうだ。

私のいた大学のコレギウム・ムジクムもこんなに上手かったらなあ。リコーダーは、lまだピッチが合いやすかったけど、ダブルリード系は大変そうだった。

投稿者 cs3daime : 21:03 | コメント (0)

ロックバーグとグラス

ジョージ・ロックバーグ 魔法の劇場のための音楽 ケネス・ムーア指揮オバーリン大学アンサンブル Desto (CMS) DC 6444 (LP)

マーラーの第9交響曲やモーツァルトのピアノ協奏曲などが引用されている。特に後者は長いので、ロックバーグの作品であることを、しばし忘れてしまう。ロックバーグのことを「贋作屋」と呼んだ批評家は、こういったところに問題点を感じたのかもしれない。

フィリップ・グラス 屋根の上の1000の飛行機 Virgin Records America CDVE 39

グラス・アンサンブルにもアナログ・キーボードは使われていたけれど、ここまでシンセの音が前面に出てきているのもちょっと思いつかない。通常はフルートやサックスと混ぜて出てくる音もシンセで演奏されている。冒頭はなぜか「テクノ」という言葉を思い起こさせた。バス声部の動きのせいだろう。

それにしてもトラック2「City Walk」を聴きながら、「あ、いつものやつだ」と笑ってしまった。元気に、エネルギッシュにアルペジオが流れ出すグラスらしい作品といえるのかな?

投稿者 cs3daime : 11:30 | コメント (0)

2004年9月27日

秋山紀夫『吹奏楽曲 プログラム・ノート』 エイト社、2003年

副題として『秋山紀夫が選んだ689曲』。吹奏楽作品を通して名前が知られるようになったアメリカの作曲家は多い。その中にはアルフレッド・リードやジェームス・スウェアリンジェンのように、プロやスクール・バンドのための作品を専門的に書く作曲家もいるが、アーロン・コープランドやウィリアム・シューマンのような、オーケストラ作品の大家と知られている人も少なくない。カレル・フサのように、吹奏楽作品としても、立派なシリアス・ミュージックを書く人さえいる。

吹奏楽作品の作曲家の一つの特色としては、20世紀の主流であった、いわゆる「前衛」「実験」音楽の流派(というものがあるとすればだが)とは違った、親しみやすい作品を書き、楽曲の演奏回数も多いということが挙げられるかもしれない。もちろんアメリカにはスクール・バンドが多いということもあるけれど、こういった作曲家を全く視野に入れないのも公平でないような気がしている。

秋山氏の解説は、スコアに実際に接した手応えのあるものも多く見受けられるので参考になるし(このスコアを見るという作業だけでも、吹奏楽研究者は大変な苦労を強いられる。専門の図書館があれば、この作業もずっと楽になるのだが)、作曲家の基礎情報も、日本語ではまだ入手の困難なものも少なくないので、実際にコンサート・プログラムでこの本に収録されている作品を取り上げる人には有益な資料となるだろう。もちろんアメリカ以外の国の作曲家も多く取り上げられている。

値段は6000円+税。

投稿者 cs3daime : 21:55 | コメント (0)

2004年9月24日

素顔のゲルギエフ

ウイーン・フィルが11月に公演するのを記念して、「お話と音楽の夕べI」として、標題の催し物が行われた。場所は北日本新聞ホール。

地元出身のチェロ奏者高田剛志によるチャイコフスキーとラフマニノフの小品が2つずつ(伴奏は奥さんの林真生)。まだ楽譜からの音楽であることが感じられてしまったが、確かな技術で安心して聞けたのは良かったと思う。

メインは元NHKモスクワ支局長という小林和男氏によるビデオ上演と短いコメントだった。彼は、この指揮者を駆け出しの頃から知るという一愛好家という印象。NHKのドキュメンタリーの方は人間としてのゲルギエフに迫るもの。ロシアの政治・周辺地域の状況の中に生きたゲルギエフの存在、そしてキーロフ・オペラを改革した情熱人としての彼の人生といったところか。コーカサスの険しい山々から挑戦することを学んだという。それに加えて山好きのゲルギエフと富山との親和性(極めて表面的ではあるが)、ならびに小林氏本人の富山にまつわる話(これもゲルギエフとは関係ない個人的話題ではあるが)。

メインのドキュメンタリー番組からの抜粋は、ゲルギエフについて、ロシアについて無知な私にとっては、楽しめるものであった。一方で音楽的な話題、例えば彼がどういう方向性の音楽を考えているのか、自国音楽に対してどのように考えているのか、富山公演にチャイコフスキーの《悲愴》を持ってくる意義といった、コアな部分がなかったのが残念ではあった。

ただ、この催し物は、入場無料ということもあったのだと思うが、北日本新聞ホールが満席になるほどの人気であったし、それによって、多少なりともゲルギエフという指揮者の存在についてアピールしたこと、そして彼がウイーン・フィルとともに、富山で記念碑的なコンサートを行うことなどは、とりあえず広まったのではないかと思う。

個人的にはゲルギエフ/WPHという組み合わせが小林氏の言うような「ドリームチーム」かどうかは分からない。演目がゲルギエフにとってはお国ものであるのにウイーン・フィルにとってはそうではないことに対するもどかしさ、あるいはチケットが富山という地域においては破格であることの問題、そういったことも、一方では聞かれている。

また、指揮者の人間としての魅力=音楽の魅力でないことも確かでもある。ゲルギエフの生きた激動の時代、またその中で自国に止まりロシア文化に貢献した彼の姿は素晴らしい。一方で彼の音楽のどういったところに魅力があるのか、何が「実力」であるのかというのは、やはり彼の文化的背景、民族の歴史、人間的情熱だけでは分からない。彼の人間像に思いを馳せることによって音楽に親しむ、コンサートに足を運ぶということは、それはそれで、ゲルギエフの言葉を借りれば「目先のお金」につながるかもしれない。しかしもし富山の音楽を長いスパンで考えた時、実質として残すべきはどういうことであるのか、そういったところをおざなりにはできないと思う。何年後か、コーカサスの故郷に凱旋するゲルギエフのような存在が富山から輩出するのだろうか

投稿者 cs3daime : 21:16 | コメント (0)

2004年9月19日

アメリカのテープ音楽作品

メイヤー・クプファーマン スーパーフルート(1971)サミュエル・バロン(フルート)Nonesuch H-71289 (LP)

生演奏とテープの両方が同じ楽器の音で構成されていて、多重録音によるアンサンブルという、今日ではあまり珍しくない仕掛けで曲が作られているようだ。あるいはこれはフィードバック回路か、インタラクティヴなものなのだろうか?

『Music since 1945』、132 によると、テープに録音されているのは、アルト・フルートやピッコロの音を変形させたもので、音域的にも広く、それゆえタイトルの《スーパーフルート》ということらしい。つまり通常生楽器では生み出せない音域まで出せるということか。しかし、これが例えばフルート属によるアンサンブルといかに違うのかが分からない。さも一人が広い音域を行き来しているということであれば、これは確かに楽器の可能性をテープが拡大したとも思えるのだが、聴いた感じはアンサンブルにしかならないのである。視覚的効果にしても、舞台に上がっているのがフルート奏者だけだとすると、他はテープによる演奏というだけで、何も新しいものはない。

また、そういった技術的問題は、作品としてどうなのかという問題をないがしろにしてはいけないと思う。

ウサチェフスキー Of Wood and Brass(1965) CRI 227 USD (LP)

タイトルからすると、木管楽器と金管楽器の音を元にしているように考えられるのだが、電気的な変形を経ているので、それらは分かりにくい。『Music since 1945』、119によると、トロンボーン、トランペット、シロフォン、コリアン・ゴングがフィルター、リング変調器などを通され、電気オシレーターも使われているのだとか。

ウサチェフスキー 《無線幻想曲》CRI 227 USD (LP)

無線によるコミュニケーションを題材にした前衛的作品だったのかもしれないが、こういったモールス信号調の音は、むしろ現在的視点からは歴史的なものになっている。実際のコミュニケーションに使われたものも、それを模したものも含まれており、またレコードを使った音楽も挿入されている(ただし音のクオリティーを落としている)。この曲は何だろう? ワーグナー?

メル・パウェル(1923~)《Second Electronic Setting》(1962)

『Music since 1945』、123によると「古典的」な作品だそうだ。それはスタジオでの集中的な仕事とテープ編集の末に作品が完成したこと、ならびに初期電子音楽(ドイツ風の)のような正弦波の加算によって音響と構成が作り出されているからだそうだ。確かに音的には古くささを感ずる。しかしドイツ的という感じはしなかったし、構成がどのように作品に影響しているのかまでは分からなかった。またそれらの技法的なものが、どのように作品として結実しているのかについては、やはり分かりにくいというのが本音だろう。

マリオ・ダヴィドフスキー シンクロニズムス第1~第3番 CRI S-204 (LP)

集中力を要する作品。フルートの独奏部分も、それなりに聴ける。クラリネットの第2番も、第1番とほぼ同じ語法。ただし弦楽器のバックが入るので、その演奏者間のインタラクションも激しくなっている。第3はチェロとテープ。跳躍の多い、いかにもセリエルな語法による緊張感の高い音楽が続く。

第5はCD『Pioneers of Electronic Music』に収録してある。

投稿者 cs3daime : 16:25 | コメント (0)

2004年9月17日

マーラー 交響曲第9番 井上道義指揮シカゴ交響楽団

1993年6月1日エアチェック

ラファエル・クーベリックの代役として指揮した公演で、シカゴ・デビューだという。冒頭の不整脈とも言われる部分、独特の呼吸に、日本的なものを感じる。こういう表現はユニークで面白い。オーケストラはショルティ時代の派手な鳴り方で、井上もその性格に逆らわずに自由に作品を演出しているようだ。ただ第3楽章では、もっと強いリードがあっても良いのではないかと思われた。一方、最終楽章では自然な流れが美しく、いつの間にか深い部分にまで聴き手を運んでくれる。優しさが感じられる秀演だ。

投稿者 cs3daime : 22:29 | コメント (0)

マゼール/WPH、ベートーヴェン第5

1986年5月5日エアチェック

カセットテープの性質なのか、やたらと低音豊かに録音されているベートーヴェンの第5交響曲。フル・オーケストラの機能を十全に使っていた頃の様式による演奏例といえるが、なかなか聴き応えはある。ゆっくり目に歌わせる箇所、ためる場所が多いのが特徴か。また楽器のバランスをうまく捉え、何度も聴いてきたつもりの名曲に新たな魅力を発見したようにも思う。マゼールはベートーヴェンの交響曲を全曲録音したのだという。彼のドイツものは概して良いのかもしれない。

投稿者 cs3daime : 20:55 | コメント (0)

2004年9月16日

ドラッグマン アニマス1(1966)

アメリカの電子音楽 Turnabout TV 34177 (LP)

ジェイコブ・ドラッグマンといえば、アカデミック派の一人として有名だけれど、電子音楽の代表的作曲家としての側面もあるのではないだろうか。ここに収められている《Animus I》(1966)も、アメリカの電子音楽らしくライブ演奏と電子音の混合である(コンクレートっぽい音も入っている)。アンドレ・スミスのトロンボーン。これはどこのスタジオ制作だったろうか。

投稿者 cs3daime : 22:30 | コメント (0)

Dorrance Stalveyほか

Ars Nova/Ars Antiqua (LP).

ドランス・スタルヴェイという作曲家については何も知らないのに、とりあえず録音はしてある。あまり印象には残らない。自由な無調でないかと思うのだが、どうだろう。《点ー線ー円》という思わせぶりな1968年の作品。弦楽器と木管楽器と打楽器という編成(レコードジャケットが手元にないので、これだけでご容赦)。シロフォン、タムタム、サスペンディッド・シンバル、クラリネット、ダブル・ベース、ハープの音が聴こえる。

その他はドナルド・アープの《キリエ》(1957)、ロックバーグの《La Bocca delle Verita》(1958)、そしてアープの《夏の音楽》(1966)。

投稿者 cs3daime : 22:15 | コメント (0)

2004年9月14日

エリザベト・レオンスカヤのショパン

ショパン ピアノ協奏曲第2番 エリザベト・レオンスカヤ(ピアノ)、カジミェシ・コルド指揮南西ドイツ交響楽団 エアチェック日不明

大学院受験のために習ったピアノの先生が、ケルンでレオンスカヤに教わったという人だった。その先生が参考にといって聴かせてくれたのがこのエアチェック・テープだった(ドイツ語のアナウンスが入っているところをみると、ケルンで録音されたのかもしれない)。当時ショパンのピアノ協奏曲さえ知らなかった私だが、レオンスカヤのドラマティックな独奏開始が強く残った録音だった。彼女のピアノは落ち着いた中にも大胆で剛直な表現が圧倒的で、オーケストラも、これに敏感に反応している。全体としては、みずみずしい歌が爽快な印象を残す。こういう演奏がぜひ商業録音になってほしいものだ。

投稿者 cs3daime : 22:16 | コメント (0)

2004年9月11日

アナログを語る会9月

福光のラモヴェールで開催された同会に出席。アナログレコードやビデオテープによる音楽を楽しむ。今月からは持ち回りでDJを入れることになった。9月は村山一雄さんが担当。映画『カーネギーホール』からヴォーン・モンローの歌唱。ビヴァリー・シルズの《キラキラ星変奏曲》、シルズコステラネッツと共演で歌ったハーバート、これらに加え《我が街ウイーン》など、地名の入った歌、そして会員の一人である卯木さんのハワイアン演奏など。多種多様。来月はDJも担当することになっているので、いまから選曲をしなければ。

その他印象に残った演奏としては、ジョン・ブラウニング(ピアノ)/小澤/LSOによるチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(日本ビクター[RCA] SRA-1550)。鮮やかなピアノは、彼のバーバーのピアノ協奏曲を思い起こさせた(私がボストンにいた時も小澤とバーバーの協奏曲をやっていて、私はラジオで聴いたのだが、そちらはあまりパっとしなかった)。その他にはアンドニオ古賀の『昭和枯れすすき』(アルバム『弾き語りの神髄』コロムビアAX-717)。思ったより絶望的に聞こえなかったのが興味深い。

私の方は米国空軍軍楽隊の演奏による愛国主義的音楽(非売品レコード)を再生。アメリカを知る方からは「これぞアメリカだ」というコメントをいただく。

投稿者 cs3daime : 13:32

2004年9月 5日

廣田宙外先生メモリアル・コンサート

富山市民プラザで行われた同名のコンサートに出席。もちろん私はこの廣田氏とも東京音大とも無縁であるが、やはり富山の才人を知るチャンスだと思い、出かけてみた。

コンサート前半は満席の中で、東京音大在学・卒業・在職の音楽家によるコンサート。なかなか良いレベルで楽しめた。特にソプラノの市川倫子の独唱による《トスカ》から<歌に生き恋に生き>が、短いながらも安定した歌唱だったと思う。

後半は廣田氏作曲による作品が多数聞かれた。西尾尚美編曲による斉唱の作品がアレンジの腕も良く、面白く聞いた。この編曲については、今後もどこかで演奏される機会がないかと思う。

岩河三郎の作品を聞いたのは、本当に久しぶり。気のせいか合唱の歌声も洗練されていたようだった。

それにしても、生前廣田氏を知る人、影響された人は本当に多いのだなあと実感した。

音楽会であるよりも社交の場であることを考慮してはいるけれど、一応苦言を呈すれば、演奏の最後の音が切れようとする瞬間、演奏が始まった瞬間にフラッシュと共に大きな音でシャッターを切る写真屋の方、もう少しこれが演奏会でもあることを考慮して欲しかった。これは主催者の方へのお願いであるべきなのかもしれないけれど。

投稿者 cs3daime : 17:40