2004年8月26日
滝沢卓 黒部川組曲
桂書房から発売された写真集+CDを聴く。写真は山田一雄による。
シンセサイザーと「自然」という路線は、いつ頃から始まったのだろう? それこそシンセサイザーというキーボードのついた機器の生まれる以前、電子音を使った音楽は「非人間的」とも言われたものだ。結局そういった発言には、いわゆるテープ音楽・電子音楽・コンピュータ音楽が電気を介して音を作っていたのとは別の所に問題意識があったということなのだろうか。
ところでこのような作品では、例えば「黒部川」という特定の川をどのように音楽として特徴付けるかが非常に難しいように思う。一聴したところ、この曲が「川」をそのまま音で描写したとは思えないし、ましてや黒部であることは写真をみて、何となく実感するものである。日本の太鼓の音は確かに日本を感じされるものではあるが、シンセによる音楽は西洋風にロマンティックである(ペンタトニック/モードの使用はあるけれど)。「幻想曲」というのは、どういう風に考えればいいのだろう?
単にソフトな音楽が流れるだけではなく、聴きごたえもある。作曲者の思いも伝わってくる。一方で音楽によるアイデンティティの問題というのがいかに難しいかを考えることになった。これはおそらく、日本の多くの作曲家が抱える問題ではあろう。
投稿者 cs3daime : 11:21 | コメント (0)
2004年8月25日
久しぶりに県立図書館にて
久しぶりに県立図書館にて調査。『音楽の友』をいくつか出してもらう。面白い記事もみつけた。
県立図書館らしく、郷土資料も開架のところに置いてあるが、音楽に関していえば、なぜか立山や滑川のものがあるのに富山市のものは一つもないのが不思議だ。もちろん新聞・雑誌記事になっているものも多いのだろうが、冊子になっているのは、むしろ富山市外のものであることが分かる。いずれ文献表も作ってみたいと考えている。
ところで先週は富山室内合奏団の3時間にもわたる演奏会が県民会館で行われた。ヴィヴァルディの《四季》などはコルレーニョ使ったり空間音楽してみたりで、この曲はなんでもアリになっているなあと思った。やっぱりイ・ムジチ/パイヤール路線に、皆飽きたのかもしれない。入場料は1500円だったけど、なかなか盛りだくさんでよかったと思う(私はご招待いただいたので、余計に嬉しかったりもするのだけれど)。客席は半分埋まってなかったかなあ。まあ大きな会場だから仕方ないというところはあるかもしれないけれど。大澤氏は後ろの左右の端が良い音響だと述べておられた。私もそういえば、吹奏楽を聴く時は真ん中よりも後ろの方に座っていたように思う。
大きなオーケストラだといま一つ響きがよくないが、室内合奏団くらいだと反響も心地よいとのこと。確かにそうかもしれない。
投稿者 cs3daime : 14:58