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2005年7月18日
カートゥーン/アニメ本/NARUTOなど
Barrier, Michael. Hollywood Cartoons: American Animation in Its Golden Age. Oxford University Press, 1999.
アメリカン・カートゥーンの歴史を一時資料・インタビューを多数駆使しながら丁寧に記述した力作。こんなものはなかなか書けないだろう。80年代のドン・ブルース、90年代のディズニー、同時代のその他各社の動きに関しては他の資料を当たらねばならないが、短編カートゥーンについて調べるのであれば、おそらく基本資料の一つとなるだろう。筆者の作品批評に賛同するかどうかはともかく、研究対象に強い愛情が感じられるのがうれしい。個人的にはLeonard MartinのOf Mice and Magicよりも好きな本。
山口康男 日本のアニメ全史:世界を制した日本アニメの奇跡 テン・ブックス 2004年
大胆なタイトル。年表など資料を含めて224ページ。おそらくコアなアニメ・ファンは「あれもない、これもない」といった声を上げそうである。しかしアニメ製作の実際やスタジオの事情、時代背景などが分かりやすく書かれているのはありがたい。どんな本でも批判的に読む(必ずしも「否定」的ではない)のは大事であるし、この本に書かれていることから、いろんな方向へ関心が広がっていくことだろうと思う。ページ数が4・5倍あれば、もっと個々の作品に踏み込んだ内容になったのかもしれない。
個人的には「70年代以降」の章で扱われている作品から『ガンダム』まではリアルタイムに楽しんでいるので、「あれも観た、これも観た」という感じで楽しめた。一方「世界を制した」という時代は、おそらく私が米国に滞在していた90年代半ば前後ではないかと思う。フロリダのタラハシーにいた時に「Japanimation」というセクションがビデオ屋に出来たときの衝撃、その後媒体がDVDになって 呼び名も「Anime」へと変化したことなどを思い出す。もっともこういうお店に出回る前から、大学には日本アニメ・クラブのようなものがあり、「Fan Sub」と呼ばれる私家製の日本アニメのビデオ(字幕付き、非売品)が大量にあった。そしてそういうクラブには日本人の会員もいて、ビデオを借りたり、時には字幕の英訳を手伝ったりもした。私がいた時期には、『もののけ姫』の字幕作りに協力した日本人もいた。
とうことで、私がこの本に付け加えてほしいことは、Japanimation→Animeとなった頃の日本のアニメ、それも映画以外の多くの作品について知りたいということである。実際アニメーション・クラブやビデオ屋にはテレビ・アニメのビデオ・DVDもあったのだし、日本人向きにこの本が書かれているのであれば、90年代に子どもだった「世代」の作品も、もっともっと扱われる必要があるのだろう。
ところで『NARUTO -ナルト-』のマイブームはその後も続き、早速コミックス蒐集を始めている(とはいっても、ほとんどが古本であるけれど)。笑い、アクション、ドラマ、友情(とその裏切り)、愛情、登場人物の成長など、とてもバランスがとれた内容で楽しんでいる(少年漫画なのに政治的な側面が盛り込まれているのも興味深い。忍者というより軍隊といった印象もあるが、作者の育った土地に自衛隊の基地があったことが影響しているのだとか)。コミックス単行本を蒐集したのは15年ぶりくらいか。あの時は『名門! 第三野球部』だったなあ(プロ野球編の辺りでやめてしまったけれど)。ところでこのマンガには『第三』の根底にある「『落ちこぼれ』の成長」があり、一方で『ドラゴンボール』っぽい絵が(アニメ版に)多いような気がした。単行本に書かれた文章によると、実は作者・岸本斉史氏はこの2作に触れ、影響を受けているということだそうだ。26巻116-117ページのコラージュ手法は、そういえば『第三野球部』にもあったなあ(甲子園出場を決めたあすなろの一打の場面だったかな? 懐かしい)。
その「『落ちこぼれ』の成長」、主人公檜あすなろの所属する『第三野球部』、つまり三軍チームが晴れて一軍になってからは、通常の強豪野球チームの話になってしまい、初期の面白さがなくなって寂しい思いをした。『NARUTO』の場合は、主人公が適度に「昔のまま」に戻ってくれるので(あるいは子どもっぽさを出してくれるので)、彼の成長を楽しみに見守ることができそうだ。
『New Type』8月号で特集されていたアニメ『NARUTO -ナルト-』の第133話も観た。キャラクターに入れ込むファンはデフォルメが気にいらなかったようだけれど、確かに「これでもか」というほどのアクションがテンポよく出されて見応えがあった(残念ながら私は「水の手法の凄さ」とかいった技術的なことは分からないのだが)。また「家族(=大切な人?)を失う傷み」や「孤独の悲しさ」といった物語の核心に迫る部分が容赦なしに吹き出し、心を打つ。
サスケは兄イタチに従って「最も親しい友を殺す」行為に走ったかのようであるけれど、次の134話ではそれを完遂せず、兄と違った方法で強さを手に入れると宣言。それまで兄の背中を追って、遂にはナルトの殺害未遂行為にまで至った自分に悩んでいるという仕掛けだったのだろうか。「千鳥と螺旋丸」の激突からこの場面までは故意に曖昧にされているので、期待を持たせる部分ではある(サスケは最終的にナルトを裏切らないのだという風に期待すべきなのだろうか)。135話はアクション無しの回であるが、繊細な心理描写が感動を呼ぶ回であり、原作第1部を締めるにふさわしい内容だった。セリフの一言一言がムードを変え、物語を進めて行くのであり、声優の力量が遺憾なく発揮されていたと思う。
#他にもサスケにとってナルトも「大切な人」であるならば、彼を失う傷みは両親を失った時の悲しみに匹敵したものになるはずなのに、やはり家族である兄により影響されたのだろうか、など、いろいろ考えさせられた。また最終的にこのマンガ/アニメ、三代目火影のいう「強さ」とは何か、「忍」の本質とはといった話にもなるのだろうな。武器や忍術は道具であってもそれを使うのは人間であるとか。
音的にはシリアスなアクションが多い133話では音楽はどうしても少なめになるけれど、上記「核心」部分で流れる70年代のドラマを思わせるようなエレキギターの旋律がナルトのセリフにある悲哀を強くしていた。こういったことはマンガではできない。水の音・風の音は、やっぱりステレオ音声だからこそ、こうも迫力があるのだろうな。135話のスコアは以前の話でも使われたものだけれど、使う箇所とスタートするタイミングがうまい。またサスケが大蛇丸のもとへ行ったことをサクラが知る瞬間、漫画では「プラン」と書いてあるだけだけど、アニメでは重々しい効果音が付加されているのも印象的だった。
そうそう、ちばあきおの名作『プレイボール』がアニメになったということを知った。『キャプテン』も15年くらい前にテレビ・アニメ化されていた。ただ『キャプテン』の場合、2時間スペシャルを無理矢理引き延ばした感じもなくはなく、アニメの質としては、必ずしも満足した出来でなかった。『プレイボール」の場合は、最初から週1アニメとして進めるということだろうから、きっと大丈夫だろう。そういえば『プレイボール』も、それほど強くない野球部が谷口に感化されて強くなっていく話だったなあ。こういうの、好みなのかも(まあ、自分も才能のない人間ですから、重ね合わせちゃうんでしょうけどね)。
もっともこのアニメの『プレイボール』、富山で放送される前にDVDが発売されそうだな。もし放送されるのであればの話だが。
投稿者 amekura101 : 2005年7月18日 21:28