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2006年4月16日

[Movie] ディズニー『アトランティス』

『アトランティス:失われた帝国』を観ました。日本のアニメーションに大きな影響を受けた製作者たちによるディズニー・アニメです。おそらく日本のアニメを長く観てきた人には、何のひねりもなく、何の面白さもないような作品かと思われます。しかし一方で、これまでそういった優れた冒険ストーリーを知らず、過去のディズニー・アニメでしか長編作品を味わったことのないアメリカの子どもたちにとっては、新鮮な冒険アニメということになるのかもしれません。当作品がそうやって子どもたちの「原点」として記憶されるとなると、世界的視野や歴史的映画についての知識において鎖国状態であるアメリカの、特に地方の映画文化においては、かなり (商業的に) 大きな意味を持つと思います。

製作者たちは『アトランティス』にかかわる幅広い情報をインターネットから拾ってそこからリサーチを開始したそうですが、日本ではよく言われている『ナディア』や『ラピュタ』からの影響があるという指摘は『ライオンキング』の『ジャングル大帝』からの影響云々よりも露骨であるため、如何ともしがたいところがあります。しかし、そういった文脈から切り離し、作品本体を考えるならば、宝探しに翻弄するオトナの世界 (たとえば『インディ・ジョーンズ』にあるような) を含めた現代風な古典的冒険ストーリーを対象となる年齢層に応じて作った職人芸的作品とすることも可能でしょう。もっとも、常に新鮮でクリエイティブな作品を作り世間をリードするといった初期ウォルト・ディズニーの大志は感じにくいです。第二次世界大戦前の、いわゆる「クラシック・ディズニー」のようにはいかないということでしょう。

ただウォルトの生前においても、戦後の作品は必ずしも一様に面白い訳ではありません (『ピーターパン』以降の作品名を年代順に挙げられる人がどのくらいいるでしょう) 。技術的な新鮮さや、そもそも「長編アニメ」というフォーマットが新鮮だった頃の勢いは、すでにこの頃には消えています。ですから日本のアニメ史記述において、戦後のディズニー長編が低く評価されがちなのも充分理解できます。そのいっぽうで、『アトランティス』自体は、時にスロー・テンポなディズニー・アニメのいくつかの戦後 (and 戦前) 作品よりは、現代の子どもたちにアピールすることも考えられるでしょう。

そして、この映画には本編で流される挿入歌がありません。『ビアンカの大冒険:ゴールデン・イーグルを救え』以来ですね。『ヘラクレス』までの「ミュージカル・アニメ」に携わっていたアラン・メンケンは、20世紀が終わりを迎えていたころ、アニメによるミュージカルはジャンルとして認知され、その新鮮度は失したという認識を持っていました。ディズニーがメンケンと再び仕事をするのは『ホーム・オン・ザ・レンジ』 (2004) を待たねばなりませんでしたが、すでに当のディズニー社は、アニメのフォーマットを含めた新しい表現に対する模索期に入っていたといえるのかもしれません。

私個人としては近年の「3Dか2Dか」ではなくて (ウォルト・ディズニーが新テクノロジーを進んで導入したのは彼の「売り」でもあったということを現在も継承しているつもりなんでしょうか) 、ケーンメイカーのいう「plotとcharacter developmentが決め手」という意見に賛同するところです。

さてディズニーの方は、ようやくミッキー・マウスの短編を一通り観て (カラーの方は日本盤DVDも持っています) 、メモをとり終えたところです。ドナルド、グーフィー、その他の短編がまだいっぱいありますが (^_^;; 『こぐま物語』も近々観る予定です。『メロディー・タイム』は『メイク・マイン・ミュージック』よりは面白かったですね。

オーケストラ・アンサンブル金沢 第5回 北陸新人登竜門コンサート <弦楽器部門> の演奏評を書き始めています。私はコンクールの審査員ではないので、通常の演奏論評として扱おうかな、と考えているところです。本はローレンス・W・レヴィーンの『ハイブラウ/ロウブラウ:アメリカにおける文化ヒエラルキーの出現』 (常山菜穂子 訳、慶応義塾大学出版会、2005) 。私は博論の時に原書で読みましたが、あの時邦訳があれば、もう少し読むのが楽だったなあ、と思うことしかり。しかしパラフレーズしたり引用するには原書ですし (^_^;;

投稿者 amekura101 : 2006年4月16日 23:17

コメント

『ハイブラウ/ロウブラウ』は面白かったですね。
渡辺裕の『聴衆の誕生』とほぼ同時期に出版されたという日米シンクロニシティが起きていたのも面白かったです。

投稿者 もぐらまる : 2006年4月17日 23:25

>もぐらまるさん

この本は、本格的な演劇・音楽の上演空間が、文化の神聖化につながったということを言っていたと思うのですが、実は私はラジオについて研究しておりまして、実はこのラジオというものは、1930年代のアメリカにおいては、社会階層を飛び越えて、いろんなものを混ぜなおした存在であったのではないかと考えていました。当時はまだ公共放送もありませんでしたし、ジャンル別の放送局というのもなく、民放の大ネットワークが全米に影響していた時期だったと思います。クラシックが爆発的に聴衆を増やしたのも、この時期だったんではないかと思っています。

投稿者 amekura101 : 2006年4月17日 23:43

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