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2006年1月 3日
アメリカにおける「戦争」意識
テレビのエンターテイメント番組で日本国憲法の戦争放棄の項を巡っての激しいケンカ (議論ではない) を5分ほど観た 。アメリカ同様、軍隊を持つことが「現実的」であるという考え方が日本にも広まりつつあることを感じた。一方第2次世界大戦の後の日本は、アメリカと違って平和な年月を重ねて来た、これもやはり「現実」であることは認識すべきであろうと思う。これは夢ではないのである (バブル崩壊の後、人々はその前もすべてひっくるめて第2次世界大戦後の繁栄をすべて「バブル」 --「あぶく銭」ではなくて「幻影」と捉える人が多い?--と観ているのかもしれないけれど) 。アメリカにおいて「postwar」という言葉を語る時、それがどの戦争を指すのかを問わねばならないというのもこれは日本が「戦後」という時代に起きた数々の戦争があったという「現実」がアメリカにはあったからである。
しかしアメリカにおいても、例えばその本土が実際の攻撃に遭ったということを考えれば、例の「9・11」の前というのは真珠湾攻撃ではないだろうか。飛行機が2つ飛び込んだ日、CBSのダン・ラザーがいみじくも「infamy」という言葉を使ったのも、やはり真珠湾とオーバーラップするところがあったからだろう。武器が外国から襲ってくることの恐怖を体感したと私は思った。
アメリカ人が戦争を語る時、そこにどのくらいのアクチュアリティがあるのか、と思うことがある。もちろん政治家や軍人、さらには戦地で実際に命令を遂行する兵士たちにとっては、かなり現実的な話であろう。自分の親類が無事還ってくるのか不安に思う家族たちもそうだろう。
一方、そういった「現実」をCNNやFoxなどのテレビで観ながら普段通りの生活をする人たちはどうなのだろう、ということが気にかかる。もちろん自分の収めた税金によって賄われているアメリカという国がどういう「外交政策」をしているのかということについては現実だろうと思う。しかしテレビの画面に映っている火や弾丸が自分の家を襲うわけではない。亡くなった人の体や血を見るわけではない。「敵」とされる人たちがどう思っているのかも、おそらくほとんど伝わってこない。
例のイラク侵略が決定された時にアメリカ人の友人が叫んだ喜びが今でも忘れられない。彼はどれほど戦争を「現実」のものとして把握していたのだろうか。戦場はいつも外国なのである。第2次世界大戦も、朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、湾岸戦争も…。
アメリカは世界一の軍隊を持っているのだという。
それでもツイン・タワーは破壊された。
世界をまるごと破壊できる武器を持つ国なのに。
あれは、たくさんの武器を持てば良いのではないことが証明されてしまった瞬間ではなかっただろうか。
ところで日本人は軍隊が欲しいのだろうか。「誇り」や外交のために???
今の自衛隊の現状でどういう対処ができるのか、どういう問題点があるのか、何をどういった方法で守っているのか、米軍とはどのような演習を行っているのか、そんな議論をエンターテイメント番組に求めるのは無理ということだろうか。「現実」の認識は必要だと思うのだが。
熱く語る (?) テレビ・タレント (政治家という肩書きを同時に持つ人もいるようだ) を見ると、そんなことを考えてしまった。「とにかく軍隊が欲しい」という熱意だけは伝わってきた。その番組に出演していた大人が「外交の際、軍隊があると強く発言できる」と語るのと、その傍らにいたゲストの子供タレント (?) が「最終的にモノを言うのは火薬ですよ」と言ったのとでは、実はそれほど距離がなかったのではないだろうか。子供は実に素直である。
ちなみに私は「丸腰になれ」とは言わない。ただ防衛=軍事増強なのか、ということは考えつづけなければいけないと思う。
アメリカのドキュメンタリー番組『Victory at Sea』や『Air Power』などを観れば分かるように、第二次世界大戦の終結は米艦ミズーリ号上での降伏文書調印である。戦争終結というのは、結局政治上の紙ペラ1枚なのである。この場面も、私には強い印象を残している。
投稿者 amekura101 : 2006年1月 3日 18:56