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2007年8月17日
スクロヴァチェフスキのベートーヴェン
ベートーヴェン 交響曲第3番《英雄》 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団 BMGジャパン (Oehms) OC 522
弦楽器を中心にヴィブラートを適宜抑制しながら、気持ちよく、快適なテンポで進むベートーヴェンである。このテンポを取ることによって強調されてくるのは、どっしりとした音の塊よりも、幾重にも折り重なる流麗な旋律線であったり、和声進行に重要な役割を果たす、細かな動機である。
イン・テンポで演奏することに対し、日本のリスナーは抵抗を感ずることが強いのだろうか、と思うことがある。それは例えば、トスカニーニに対する相対的評価が低い傾向にあることにも現れているように思う。
新たに接する演奏におけるテンポというものが、我々が過去の実演や録音において接して来たものと大きく隔たっているということはある。またテンポ通りで演奏するよりも、細かくそれが変動する、揺れる部分に、何かしら尋常ならぬ表現の深みと濃厚さを感じ取ることがある。
スクロヴァチェフスキの場合、テンポだけを考えれば、「揺れ」の要素を緩徐楽章には積極的に取り入れながらも、イン・テンポに近い律動を選んでいるように思う。
ドラマの構築のために音の協和・不協和が用いられることも見逃せない要素ではあるが、それは、ゆっくりとしたテンポの中で、垂直的・同時的に聴取されることが大きいように思う。しかし、より大きな文脈の中に置いてみることで、特定の声部の動きがいかに重要であるかを聴き取ることもある。
もちろんスクロヴァチェフスキの演奏だって、立ち止まりながら、朗々と鳴らす中で聴かせることを忘れているわけではない。しかし、重点は、アクセントを生かしながら、より線的な流れの中に置かれているように思われる。近年のピリオド楽器による演奏に触れるにつれ、この「折り重なる流麗な線」の存在をベートーヴェンの音楽の中に見出すことが多くなった。
作曲家の意図というものは、永遠に分からないものだろうし、唯一絶対的な解釈があるなどとは、おそらく誰も思わないだろう。ただ、ベートーヴェンの時代の「楽器」が語るものには「解釈」の枠組みにスマートに収めきれない、何かしら共通の音作りの基盤を、現代の奏者にもとめてくるように思う。それが「historically-informed performance」の根底にあるものではないだろうか。
そんなことを考えながら、スクロヴァチェフスキの《英雄》を堪能した。なお、私の聴いた国内盤は交響曲第2番とセットで、2枚組になっている。最近全集のボックスも発売されたようであるが、輸入盤の方が安いようだ。国内盤のライナーの問題については、以下も参照されたい。
瑞典Megastoreから (「ユビュ王の食卓」)
投稿者 amekura101 : 2007年8月17日 20:27