« [LP] [Book] Af-Am. Hollers, Af. Drums, フロスト日和 | メイン | アメリカ音楽・アニメ音楽 »
2006年2月14日
[CD] チェルカスキーのショパン
Shura Cherkassky I: Chopin. Great Pianists of the 20th Century. Philips 456 742-2 (2CDs).
オデッサ生まれで、ロシア革命による亡命後はアメリカ (イギリス?) のピアニストとして長く活躍したチェルカスキーですが、このショパンの2枚組中では、特に前奏曲作品28の美しさに魅了されます。彼のピアノはテクニックの確かさを前面に出し圧倒する近年のやりかたとは違います。むしろ技巧的なパッセージの中に聴かれるべき旋律線 (かならずしも上声部とは限りません)を紡ぎ出し、微妙なバランスを保ちながら、結果として詩情豊かな演奏を作り出します。
ロマン派歌曲の伴奏で、バス声部に隠れた旋律線に耳をそばだてることがよく行われます。それはこの時期の西洋音楽が、和声的な色彩に重きを置いているだけではなく、19世紀まで蓄積されてきた対位法の線的要素をも決して失うことなく敢然と保持しているからです。
ショパンのピアノ作品の場合、歌曲の伴奏のようにバス声部がソプラノとデュオを形作る時がしばしばありますし、内声部に思いがけない旋律線が見える (聞こえる) 時があります。バッハの《平均律》をきちんと多声音楽と認識しながら演奏すると分かりますが、主旋律とされる線だけを追っていると、背後に隠れている線的な流れの面白さを忘れてしまうことがあります。それは特に、古典派/ロマン派のホモフォニックなテクスチュアに慣れると起こります。主旋律以外を「伴奏」と切り捨ててしまうことで、それを支える音楽、特に線的要素がないがしろにされてしまうのです。
チェルカスキーの前奏曲を聴いて考えさせられたのは、ロマン派の豊かな和声語法の中に息づく様々な線的な要素を、彼は耳をそばだてながら追求しているのではないかということでした。時にそれは、オーケストラの響きにも似た技巧的パッセージが背後に追いやられてしまうということにもなります。しかし、現在そういった技巧華やかなりし演奏が氾濫しているため、スケールがやたらと大きくて派手な解釈に食傷気味だということであれば、チェルカスキーのような可能性を聴くことは新鮮な体験になるでしょう。自分の音楽へのアプローチを再確認することにもなります。またショパンの「詩情」というのは何なのか、なぜ彼は「詩人」と呼ばれるのかということを、これほど考えさせる演奏に出会ったことはありません (ただ第3ソナタは、技巧的な側面がもっと欲しいと思うところがあり、必ずしも線的要素が明確に出ている訳ではありません)。
1枚目のエチュードも各曲の音楽的可能性を考えさせられる解釈の一つで、録音は古いものの、一聴の価値があります。特に《革命》のエチュードが楽しめました。何の「練習」だったかな、ということを考える演奏--例えばポリーニのような--からはかなり離れているように思います (その「是非」はリスナーの好みによって分かれるでしょう)。
個人的には、《舟歌》ヘ長調 作品60、《ノクターン》ヘ短調 作品55の1とともに、2枚目からお聴きになることをお勧めしたいCDであります。
投稿者 amekura101 : 2006年2月14日 09:25