« [Movie] チャップリン映画2題 | メイン | [Misc.] 音楽が時間経過を忘れさせる »
2006年3月26日
[発想メモ] 折衷と「折衷主義」
バーンスタインが『答えのない質問』で、将来の作曲は折衷主義になるといったことを言っていたそうです。
人間であるがゆえに「0からの創造」はありえない、そういう視点からすれば、人間によるすべての創作は折衷であるといえるかもしれません。しかしこれが「折衷主義」となると、違ったニュアンスを持つように思います。そこには、聞き手が「明らかに混ざらない」と前提した複数の異なった作風が一つの作品に現れる必要があるのではないかということです。
サード・ストリームでも、1つはジャズ、もう一つはクラシック(後に彼は「ジャズ」を「あらゆる民族音楽」に変更したようですが)という、別に混ぜる事はかまわないのだが、しかしながら少なくない割合の聞き手が何となく違和感を感ずる、そんなところに、「折衷主義」が主義たる要素があるのだろうか、と思ったりもします。
美術、彫刻、建築のいわゆるポスト・モダンとかいうのには、一つの空間に同時間的に多様なスタイルがクラッシュする面白さがあるように思えるのですが (もちろん人間の眼が特定の作品を一度に見渡すことができないという可能性は否定しませんけれど)、音楽の場合はいくつものスタイルを同時にというのは、すでに「対位法」という技法に還元されてしまうという恐れもありますし、そもそもポピュラー音楽っぽいものに無調音楽をクラッシュさせても、耳の方はポピュラー音楽っぽい聴きやすい方に流されてしまうんではないかとも思えてしまう (もしかしたら好みのせいで、逆になるのかもしれない) 。
そうでなければ、最初の1分はマーラー風、次の2分はテープ、次は内部奏法、さらにバロック風といったような感じになってしまうのでしょうか。いや、どこかにオーバーラップするところもあるだろうし、このうち1セクションは完全にミックスにするということも可能でしょう。いずれにせよ、音楽の場合、同時間的なミックスというのには限界があるのだろうな、という気がします。
バーンスタインの《ミサ》にせよ、ウィリアム・ボルコムの《フレスコ画》にせよ、「折衷主義」というのは、いくつかの作風が一つに統合されるというよりは、統合されるまえのむき出しのものが時間を置いて現れる、並列的なものになりやすいのかな、という気がします。
投稿者 amekura101 : 2006年3月26日 23:24