2008年2月27日

ニューヨーク・フィル、平壌公演

以下のレポートがあります。

・Daniel J. Wakin, North Korea Welcomes New York Philharmonic ("The New York Times")

ロイターには動画が2つ。

Playing in Pyongyang ("Reuters")

NY Orchestra Plaay in North Korea ("Reuters")

とある情報によると、「ヨーロッパでも独仏共同公共放送アルテが」「全編を中継し」たそうで、「1500人の聴衆は労働党の幹部とその子弟プラス諸国の 外交官」だったとのことです。

投稿者 amekura101 : 11:15 | コメント (0)

2008年1月20日

レコード芸術2008年2月号

『レコード芸術』2月号、海外盤試聴記に2つのCDを取り上げました。

(1) ヴァージル・トムソン:映画音楽《大平原を耕す鋤》、同《河》→アマゾン

(2) ギャヴィン・ブライアーズの驚くべき箴言〜初期作品集→アマゾン

(1) は、「交響/管弦/協奏」セクション、252ページです。 (2) は「室内/器楽曲」のセクション、257ページにあります。

投稿者 amekura101 : 17:48 | コメント (0)

2008年1月14日

雑感・感想

武満徹が著書『夢の引用』で、フェリーニが「シネマ・ヴェリテ」に対し「”映画の嘘つき”のほうがいい」と語った一節を引用していた。とっさに思い出したのは、小沢昭一による放送大学「芸能と社会」の一エピソード、「テレビの社会学」である。小沢は、テレビという媒体が役者のありのままをさらけ出す表現を助長し、その結果、「作る」ことが難しくなったと歎いていた。

もちろんテレビに映し出されるタレントの馬鹿笑いや暴言というのは、視聴率を稼ぐための「芝居」であるかもしれない。しかし、そうはいっても、演劇や映画で行なうような「芝居」とは明らかに違うことは確かだ。いかにも自分たちの身の回りにいる人が何かを言っているというような「装い」をするに違いない。

誰が語ったか忘れたが、アイドル・タレントが「天上」の存在ではなく「身近」なものとして現れるようになったという。これにはテレビが家族全員の団らんの中で共有される娯楽ではなく、一人一台という受像機という地位にテレビが君臨した (あるいは陥った) ことによるところが大きいと、その人は言っていた。

秋山邦晴『日本の映画音楽史1』 (田畑書店)

日本の映画音楽の研究者になろうとは思わないけれど、とりあえず基礎文献くらいは押さえておきたいと思い入手。インタビューを交えた貴重な資料であることは間違いなさそうだ。秋山は『キネマ旬報』にも連載を長く続けている。少しずつそっちの方も読んでみたいものだ。

Gian Carlo Menotti, Amahl and the Night Visitors (VAI, DVD)

この作品がアメリカでクリスマス・ストーリーとして評判になったというのは納得できる作品である。しかしキリスト教国でない日本では、どのくらい受け入れられるのだろうか。神の救い、奇蹟、イエスを求める巡礼の旅。演技もなかなかだ。

小さな編成で、45分ほどのオペラ。しかしそこには、言葉が生きたささやかな物語があり、踊りがある。

ただメノッティは、自分が演出にかかわれなくなってからのプロダクションにかなり不満を抱いていたらしい。確かカラー映像もビデオで持っていた。あれはいつの放送だったんだろう。

投稿者 amekura101 : 10:47 | コメント (0)

2008年1月 4日

元旦に聴いたものの記録

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、1月1日に聴いたものを、記録しておきます。

Guillame de Machaut, Messe de Notre-Dame, Ensemble Gilles Binchois (Harmornia Records HCD 8931).

ヒリアード・アンサンブルのピンと張りつめた<グローリア>なんて、なかなか訴えるものが強いんだけど、アンサンブル・ジル・バンショワは、包み込むような温かかな印象。むかし聴いたときは、のんびりした感じが物足りなかったというのも本当のところ。それは歌う音域が低くなってるからでもあるんだけど、その分、あの4度のキツさが緩和されて、マショーの神秘的な美しさが際立っているようにも思う。

グレゴリオ聖歌も入れて、実際の典礼を再現する試みはいいと思う。この聖歌とヒリアードの演奏という組み合わせだと、確かにマショーが突出してしまう可能性はあるわなあ。

平石博一『広島』(Sonic Arts SA 1021, CD-R)

ある作曲家の方のmixi日記で作曲家の名前が言及されていて、それで購入した音源です。どこかで作品を聴いていた作曲家のような気がするんだけど、これと『Walk Man』を買うまで音源の一つも持ってなかったようだ。面白いです、非常に。心あるレコード会社は、プレス盤にしてほしい、と思う今日この頃なのだ (←きっこ風) 。

オリジナル盤による 明治・大正・昭和 日本流行歌の歩み その8 (日本コロムビア ADM-1008, LP)

戦時色がぐっと強くなる1枚。松平晃、伊藤久男他の歌唱による《紀元二千六百年》は、黛敏郎が『題名のない音楽会』で紹介したのよりも、ずっと聴きやすい。

投稿者 amekura101 : 23:20 | コメント (0)

2007年12月26日

英『グラモフォン』誌、付録CDを聴いてみる

ヒラリー・ハーンのインタビューを収めたCDがイギリスの音楽雑誌『グラモフォン』の付録になっていたので、ちょっと古い号のですが、聴いてみました。

"The 'Real' Great Composers--Paganini: Hilary Hahn and Rob Cowan in conversation," Gramophone November 2006.

「楽譜に書かれていることと自分がこう弾きたいと感じたことが違った時、どうするか」という質問に、ヒラリー・ハーンは「確かに自分の弾きたいと感ずることはあるとは思うが、楽譜に書かれていることの可能性も残しておいた方がいい。練習室で最初に曲をさらった時には分からないことがあり、全体が見えてくると納得できることが楽譜に見つかる時もあるからだ。しかし最終的にそれでも自分が感じたことと違う場合は、自分の感情を自然に伝えることが大切なので、そちらを選ぶ」と答えた。この段階になると「一聴衆の立場として」作品を捉えられることになるのだと。

楽譜のエディションについては、「もともとパガニーニは、自分の商売上の秘訣ということもあって、楽譜に肝心なことを残さなかったという。あるいは楽譜がそれまで行なってきたことの集約である可能性もある。だから『原典版』などというのも、どこまでそうなのか分からないところがある」という趣旨のことを話していた。

知的な話をする演奏家ですねえ。俄然興味が湧いてきましたよ。

投稿者 amekura101 : 19:39 | コメント (0)