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2005年7月 3日

ポリフォニーからモノディーへ

カッチーニ:麗しのアマリッリ~新しい音楽/新しい音楽の書法 モンセラート・フィゲーラス(ソプラノ)、ジョルディ・サヴァール(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 日BMGファンハウス(Deutsche Harmonia Mundi) BVCD-38015

カッチーニ 新しい音楽

今さらながら、なぜ中世・ルネサンスの音楽史ではポリフォニーが中心になっていたのだろうと思う。教会の外の世界や世俗(宮廷)の世界、民衆(folk)の間には、おそらく楽譜を使って複雑に構築されるのとは違った、シンプルな歌唱形態が存在していたということが容易に想像できるからだ。ギリシャ文明の復興、言葉と音楽の関係などの理由付けは確かにあるけれど、正直いって、どこかしら空々しいものを感じてしまう。

何も根拠はないが、ホモフォニックな音楽を楽譜に記録する「価値」がこの頃になって高められたということはなかったのだろうかと思う。簡素な歌唱法に「芸術的」な価値を見いだすような意識変革があったというべきか。後で音楽史の本を読んでみなければ。

もちろんカッチーニのモノディーには、ポリフォニーよりも言葉をはっきり聴けるという利点がある。ここでは大きなオペラハウスの空間とそれを満たすための大音量のオーケストラ、さらにそれを相手にしながら発展してきたベル・カント唱法の歴史は置いておいて、少なくとも、カッチーニのモノディでは言葉のニュアンスは細かく旋律や装飾に反映されている。そしてリュートやギターはやさしく歌を支える(もっとも、小さな教会でもエコーのため言葉が聞き取りにくいということはある)。

ところで言葉のイントネーションに基づいた一本の線ということについて考えると、アジアではこれがヘテロフォニーとして、違った方向に進んでいった。西洋では和声・対位法という「足枷せ」があったため、おそらくヘテロフォニーには進まなかったのだろうと思う。

それにしても、なんとデリケートで物悲しく、愛しい音楽なのだろう。ポリフォニーだホモフォニーだと考える事さえ馬鹿げているように思えてしまう

投稿者 amekura101 : 2005年7月 3日 00:59

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