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2006年6月 2日

[LP] 日本の伝統音楽など

黛敏郎 古典への旅/語り物音楽への招待 CBSソニー 25AG 500 (LP)

A面は、天台声明、各種琵琶、義太夫、新内などが黛のナレーション付きで紹介されています。『題名のない音楽会』よりも、ずっと「台本読んでます」という感じの、訥々とした感じ。B面の最初は「語り物」のコラージュ。イタコ口よせ、節談説教、デロレン祭文、万歳など、小沢昭一の影響でしょうか (ライナーには小沢昭一と小泉文夫を交えた『てい談』が掲載されてます) 。そのほか、瞽女さん、津軽じょんがら節、浪花節と続きます (コラージュではなく、一つひとつ解説してます) 。

予想していたよりも、あっさりとしたナレーション解説の内容でした。ライナーは小泉さんと大貫紀子さんによるもの。あまり黛ナレーションの内容と干渉しあわないので、かえって勉強になるかも。とりあえず語り物各種について耳でまとめることができるという内容かもしれません。

「郷土の音楽」『中学校の音楽3』 (教育芸術社) グラモフォン・エデュケーショナル (ポリドール) (LP)

学芸時代に図書館から借りたことのあるLPレコード。私はこういう教材用のレコードというのが好きで、特にこういう純邦楽・民族音楽系はオムニバスとしてまとまっていると勝手に思い、よく聴いていました。曲目解説の方もオムニバス盤のライナーという感じで、「現場の先生は、これを使ってどうするの?」という感じがなきにしもあらず (^_^;; もっとも西洋音楽の解説の方は「もうすこしちゃんとした人の方が」とか「教育現場にかかわっている人の方が」とか、いろいろ思わされることが多いです。もう10年近くたっているので、こういう学校教師向けのライナーノートの内容も良くなっているとは思いますが。

投稿者 amekura101 : 2006年6月 2日 22:18

コメント

黛さんって、所謂、「民族派」の方だったんですよね。
やはり、「西欧コンプレックス」ってあったのでしょうか?

ナショナリズム、イデオロギーとはほとんど無縁に各地の民謡を集めて回ったバルトークとは違うのでしょうか?

投稿者 pierre : 2006年6月 2日 23:22

いや、黛は前衛をかなり忠実に追っかけていたところがかなりありますし、伊福部昭のような「民族派」には挑戦的であったことが彼の文章(『音楽芸術』)にもあらわれています。
「涅槃」や「曼荼羅」にしてもバルトークとは全くベクトルの異なる作品です。

投稿者 もぐらまる : 2006年6月 3日 14:09

おそらく、お二人の「民族派」という言葉が具体的に指すものが違うのかもしれませんね。

黛は生前、その言論から右翼とされておりましたし、今手元にある『題名のない独白』 (サンケイ出版) なんかを読めば、現在の日本の、いわゆる「右傾化」というのは如実に分かります。おそらく今だったら、この本の内容なんか、かなり受け入れられてしまうのではないかと思います。おそらくpierreさんがおっしゃっている「民族派」というのは、黛の政治思想的な問題ではないかと思いますが、いかがでしょうか?

一方、日本のクラシック音楽史で「民族派」という場合、右だ左だという前に、日本の伝統芸能をなんらかの方法で西洋の演奏メディアに持ち込みながらも、どこかしらその方法論が、戦前の世代と、それらがもたらした、西洋でいう「国民楽派」的なアプローチの作曲様式を思わせることが多いんです。で、いいんですよね (^_^;;

黛は1945年の4月に、現在の芸大に入学し、実は「民族派」伊福部昭にも師事したそうですが、アルバイトでジャズ・ピアノを弾いたり「ブルー・コーツ」というジャズ・バンドに所属したりで、在学中に《ルンバ・ラプソディ》 (1948) 、卒業後にも《シンフォニック・ムード》 (1950) なんかを創作したそうです。今朝やってるドラマじゃないですが、ルンバをクラシックに持ち込んだのは、かなり大胆だったのかもしれません。「占領期」という時代の息吹だったんでしょうか。

その後1951年、パリのコンセルヴァトワールに入学するのですが、そこでの伝統的な作曲技法には全く興味を示さず、その後は、おそらくパリで出会ったと思われるミュージック・コンクレート (日常に存在する音を録音・編集し、抽象的な音の「オブジェ」的作品に仕上げるテープ音楽) に傾倒したりします。その後も特殊楽器、音列技法など、新しい作曲技法に興味を持っていたようです。

ところが1958年に、仏教の声明を取り入れた合唱とオーケストラによる《涅槃交響曲》(1958) (私にはかなりロマンティックな曲のように思えます) などを通して、彼が仏教音楽や日本の伝統芸能に興味を持っていることが公になっていきます。

ヨーロッパの最新の音楽書法を追いかけていた当時の日本の現状と、それまで「反逆児」のように思われた黛が起こしてきた行動を考えれば、この「伝統回帰」はそれほど驚くべきものでなかったのかもしれませんが、それでも当時《涅槃交響曲》は大きなインパクトを与えたそうですね。

ただ黛は東大寺の「お水取り」かなんかを調査したんでしたっけ? そういう点ではバルトーク的な側面があったのかもしれませんね (民謡採集に走ったのとは路線が違いますけどね) 。実際の曲にそれがどのくらい反映されたかはともかく。《昭和天平楽》(1970) にしても、その展開には、もっと西洋的でダイナミックな構成力を感じます。

日本だと、磨きあげられた伝統芸能はともかく、民謡に注目して芸術音楽をやってますという人というのは、戦後どのくらいいるんでしょう? 先の「民族派」の他に。とりあえず間宮芳生さんは思い付きます (《合唱のためのコンポジション》が好きです) 。後は柴田南雄さんのシアター・ピース。三善さんの《響紋》は、わらべうた、でもちょっと違うか (^_^;;

投稿者 amekura101 : 2006年6月 3日 15:52

小山清茂や外山雄三というのは「民族派」に入るんですかね? 渡辺浦人は? う~む。

投稿者 amekura101 : 2006年6月 3日 22:10

>おそらくpierreさんがおっしゃっている「民族派」というのは、黛の政治思想的な問題ではないかと思いますが、いかがでしょうか?

おっしゃるとおりです。
まさに政治思想的の分野で「民族派」ではないのか、と思ったのです。
ドボルザークやシベリウスのような「民族派」という意味ではありません。

それにしても、黛ってそんな経歴があったのですか。パリまで行って「右翼」にならなくてもいいのに…

『題名のない独白』、読んでみたいですね。

『コンポ』は歌ったことはありませんが、初めて聴いたときは衝撃でした。

投稿者 pierre : 2006年6月 4日 00:19

日本ではまだ知られてない動向をいちはやく輸入して業界から「前衛」として評価されていたわけだけど、「追っかけていた」という時点で既に本質的には「前衛」ではないわけでしょう。いかなる理由からかそのモチベーションを失った時に、新たに拠って立つ基盤として立ち現れてきたのが「日本」だったのでは。とはいえ、どんなに日本的な素材を使おうと、彼は最後までどこまでも「西洋音楽家」だったわけですが。

投稿者 鈴木治行 : 2006年6月 4日 15:11

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