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2004年11月13日

スティーヴン・フォスターの旋律

カーメン・ドラゴン指揮キャピトル交響楽団 米Capital SP 8501(LP)

かつて国内CDとしても発売されたもの。筆者は買いそびれてアメリカのLPで楽しんでいる。《草競馬》のアレンジがなかなか凝っていて、面白い。ゆったりとした旋律の作品もムードたっぷりに編曲・演奏されている。管弦楽が効率よく鳴るのは当然としても、前奏や合いの手に魅力的な旋律や音色が挿入されている。《おおスザンナ》ではピチカートがバンジョー風だし、ヴァイオリンがフィドル風。対旋律も登場。まさかフォスターもカントリー・ダンスまでは想像してなかっただろう。カスタネット(?)の音はミンストレル・ショーを彷佛とさせる響きだ。エリック・カンゼルが、しばしばドラゴンのアレンジで演奏しているのもうなずける。

私の持っている『コール・ポーターの夕べ』(SW 8-1805)もアメリカ盤LP。ジャケット裏面にはカーメン・ドラゴン自身による解説と、「Mr. Pへ」で始まる短い手紙が掲載されている。

その他、許 光俊の『世界最高のクラシック』を眺め始める。バーンスタインは「直接的」だが、「ハリウッド的・スピルバーグ的なショックの効果の追求にすぎないとくさすには、悲嘆はあまりにも深い」とある。なるほどうまく逃げたという感じだけれど、アメリカ→映画というステレオタイプを避けてアメリカの音楽家を述べることを批評家は考えるべきなのではないかと思うこともある。カラヤン=人工的、小澤の東洋人としての成功についても、こういった次元でない考え方が必要ではないかと思うこともある。おそらくクラシックをこれから楽しむ人向けに書かれたので、彼のこれまでの著作に触れてきた人には物足りないのかもしれない。

「日本の音楽祭3」の校正も始める。できればWeb-cri用のディスク・レビューも始めたい、ウイーン・フィル富山公演についてもまとめられるかどうか…。

投稿者 amekura101 : 2004年11月13日 09:08

コメント

ステレオタイプに徹するのであれば、バーンスタインの「深い悲嘆」は「ユダヤの血」で片付いてしまうのではないでしょうか。

米国を代表する指揮者をバーンスタインとショルティだと思うか、セルとドラティだと思うかで(許氏の立場は後者だと思っていたのですが)、立論も変わってくると思います。

また、「ハリウッド的」ではあっても、ストコフスキーまで突き抜けてしまえば、全く違うものが見えてくるはずなのですが。

投稿者 のの : 2004年11月14日 22:47

なるほど、ハリウッド的な分かりやすさとユダヤ的な嘆き…ですかね。そこまで言い切ってしまう方が分かりやすい。志鳥さん風というか。

「アメリカ」の難しさというは、結局単数のアメリカというのはあり得ないということで、これはもう作曲におけるアメリカとは何かという問題にまで遡れそうです。許氏の立場について私は詳しくは存じませんが、確かにセルやドラティを、より評価しているという気はします(「代表する」存在と考えているのかについては、どうなんでしょ?)。バーンスタインは、お挙げになった指揮者の中では、音楽教育もアメリカで行ったため、センセーショナルにアメリカ国内で捉えられがちだとは思います。もちろんメディアの露出度もありますけれど(トスカニーニも移民音楽家の中では、一段と強いスポットライトを浴びている指揮者でしょう)。

ストコフスキーに関しては、『オーケストラの少女』『カーネギーホール』『ファンタジア』、さらにはハリウッド・ボウルでの活躍を考えるだけでも、ハリウッドとは密接な関係を持っていたといえるかもしれません。それに加えて、「トリック」ではすまされないストコフスキーの実力というのは、また別に考えるべき問題ではないかと思えます。今日『アート・オブ・コンダクティング』のDVDを眺めていたんですが、ストコフスキーがオーケストラからあの独特な音を引き出す能力は高く買われていますね。もっとも、単にオーケストラを響かせただけでは面白く聴かせられないということもあるでしょう。《トッカータとフーガ》についても、朗々と響くオーケストラは確かに輝かしいのですが、そこまでエネルギーを自然に膨らませていく腕もあるように思います。「魔法の手」と言われたみたいですが、一気に腕を振り下ろす時もあるし、指を数本向きを変え、微妙な陰影を生み出す。それらが有機的な音楽表現になっているように思います。

投稿者 谷口 : 2004年11月15日 00:19

言い忘れましたが、許氏のバーンスタイン評はグラモフォンに録音した《悲愴》についてです。したがって、「悲嘆はあまりにも深い」は立派に褒め言葉になると考えられますが、それ以前の言い回しは、アメリカ指揮者だから、ということに集約されるのかなあと考えました。

投稿者 谷口 : 2004年11月16日 21:47

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